自己紹介【000】

初めまして。

てつ、と申します。

私のブログにおいで頂きありがとうございます。

それでは、自己紹介をさせていただきます。

この世に産み落とされてから中学を卒業するまで

私は西暦1991年にサラリーマンの父と専業主婦の母の間に、長男としてこの世に産み落とされました。

とにかくよくしゃべって、何でも自分でやりたがる、好奇心旺盛な子供だったと聞いています。

 

幼少期から自然に触れ合うことが大好きで、家の中で遊ぶよりも外で遊ぶ方が好きでした。

生き物が大好きで、ザリガニ・カブトムシ・トカゲなどを捕まえては、本で方法を調べながらよく世話をしていました。

 

大人数の集団に溶け込むのが苦手で、昔から少人数の友達と遊ぶことが好きでした。

今でもその名残か、広く浅くと言うよりは、狭く深く人付き合いする傾向があります。

 

小学6年生から高校3年生まで、ピアノを習っていました。今でもたまに思い出したように弾いています。上手くはないです。

 

中学ではバスケットボール部に入っていましたが、万年補欠でした。今でも球技には苦手意識を持っています。

 

父が非常に高学歴だった影響で、勉強は一生懸命やっていました。

音楽や体育などの実技科目も好きだったので、中学での成績はいつも学年上位でした。

県内の難関公立高校に入学

その流れで、県内の難関公立高校に入学することになりました。

通っていた中学校では成績上位だった私の学力も、県内の学力がトップクラスの中学生が集まった高校の中では全く歯が立ちませんでした。

 

高校一年生の冬頃に受けた実力テストでは学年でビリになりました。

成績上位から最下位までフリーフォール状態でした。

自尊心はズタズタに引き裂かれました。

 

そして、テストの結果が人に見られないように必死で隠しました。

当時の私が、

「いやー、俺この学年で一番頭悪いわ。みんな勉強教えてねー。」

くらいのことが言える人間であれば未来は大きく変わっていたでしょう。

しかし、恥ずかしくてそんなことはできませんでした。

 

この頃から私は、理想とする自分と、現実の自分とのギャップを強く感じ始めていました。

しかし私は、そのギャップを受け入れられずにいました。

当時15歳の私の虚栄心は、ありのままの自分の姿を受け入れようとしなかったのです。

高校の陸上競技部

部活動は陸上競技部に入り、100m走の選手になりました。

勉強がダメだった分、半分現実逃避的に渾身のエネルギーを部活に注ぎました。

その結果、高校3年生の部活引退前の県大会では、準決勝まで進み、そこで自己ベスト記録を更新しました。

決勝には進めませんでしたが、主観的にはとても満足の行く走りができました。

全身の細胞と魂が喜び合っている感覚を生まれて初めて感じたのは、100m走を全力で駆け抜けている瞬間でした。

部活を引退する際に、「夢のように楽しい11秒間だった」と涙を流しました。

部活引退後に受験対策を始めるも大学全落ち

大会が終わってしばらくしてから部活を引退し、本格的に受験勉強を始めました。

進学校と言えども、学年最下位を取ったほどですから、私の学力は壊滅的でした。

しかし、ありのままの自分の学力の無さを素直に受け入れることができず、全く身の丈にあっていない難関大学を目指していました。

その結果、現役で受けた大学はすべて落ちました。

2年間に及ぶ大学受験浪人時代

高校卒業後は、大学受験予備校に入り、2年間の浪人生活を送りました。

同期が大学に進んで楽しそうにしている様子を横目に、私は毎日高校で習った内容の復習です。

朝起きて予備校に行って授業を受けて、自習して、家に帰って眠るだけの日々です。

みんなはどんどん前に進んでいってしまうのに、私だけその場で足踏みをさせられているような感覚でした。

「自分は生き遅れている」という焦燥感を抱きながら、途方もなく長く苦しい時間を過ごしました。

しかし、2年間の努力も虚しく目指していた大学には受かることが出来ませんでした。

精神的にも経済的にもこれ以上浪人生活を続けることはできなかったので、私は併願していた私立大学に入ることになりました。

自分が何がしたいのか分からなかった大学時代

大学に入ったものの、特に学びたいこともなく、将来こうなりたいというイメージも湧きませんでした。

しかし、不幸中の幸いか、2浪したお陰でそれなりに学力がついていたので、大学では良い成績を取ることが出来ました。

そして、何となく毎日を過ごしていたら、あっという間に就職活動の時期が来てしまいました。

 

大学で3年間過ごしても、自分が何をしたいのか分からないままでした。

当然、心から就きたいと思える職業もなく、消極的で消去法的な姿勢で企業を選んで応募していました。

そして、何社か選考を受けていたら、2つの会社から内々定をいただくことができました。

どちらの会社も積極的に入りたかったわけではなかったのですが、面倒な就職活動を早くやめたかったので、消去法で入る会社を決めて就職活動を終えました。

当時の私は、自分が何がしたいのか分からなかったので、そんな会社の選び方しかできなかったのです。

 

最終的には、学科首席で大学を卒業して、間もなくサラリーマン生活に突入していきました。

当時、私を尊敬してくれていた大学の同期も多く、

「てつは社会人になっても、うつとかにならなさそう。精神力が強いし、努力家だし、ストレスにも強そうだよね。」

などと言われていました。

入社半年でうつを発症

しかし、入社から約半年後、様々な要因に追い込まれ、私はうつになりました。

様々な要因とは、

  • 父の余命宣告
  • 祖母の病気の悪化
  • 祖父のアルコール依存症
  • 母の精神不安定
  • 会社への不信感
  • 自分の生き方に対する言葉にできない違和感

などです。

私は会社を辞めたいと思いました。

しかし、周りの人たちに何度も思いとどまるように言われました。

自分としても、

「石の上にも三年」

と思っていました。

「家族が大変な時だからこそ、長男の私がもっとしっかりしなくては」

と思っていました。

しかし、心も体もボロボロで、とても仕事を続けられるような状態ではありませんでした。

入社7ヶ月で、私は会社を辞めました。

うつが完治するまで

療養期間を経て、退職から約1年後、地元の小売店でアルバイトを始めました。

療養期間にあった様々な出来事は、このブログの中で少しずつ紹介させていただこうと思っています。

 

アルバイトを始めることを決断し、応募の電話を掛けるときに、吐き気がするほど緊張したことを今でもはっきりと覚えています。

短時間のアルバイトですら、こなせる自信がなかったのです。

恐怖と不安で電話を持つ手が震えました。

 

バイトに応募する頃にはうつの症状は大分落ち着いていましたが、まだ完治したといえる状態ではありませんでした。

専門用語で言うところの「寛解」に当たると思います。

再発の恐怖もありましたが、貯金も使い果たしてしまっていたため仕方がなく、また、リハビリも兼ねてアルバイトに挑戦したという感じです。

 

そしてアルバイトを始めて1年ほどの月日が流れ、私はついに、

「主観的にうつが完治した」

と感じました。

 

うつの発症から2年半近く経っていました。

うつが完治してからの生活

2018年5月現在、私は

  • 週に35時間のアルバイト
  • 自分や家族の食べる野菜を自給するための小さな菜園の運営
  • このブログの運営

の3つを軸に生きています。

うつの時は毎日、

辛くて

苦しくて

悲しくて

怖くて

不安で仕方なかったですが、

今は楽しく、ワクワクしながら生きています。

自給菜園のキャベツとサニーレタスの寄せ植え

うつの症状や原因は十人十色

ちなみに私は、自分でいろいろ調べた結果、

「私の場合のうつは薬では治らない」

と判断したため、投薬による治療は一切受けていません。

心療内科に行ったこともありますし、カウンセリングを受けたこともありますが、薬は飲んだことがありません。

(※投薬治療によって劇的に改善する場合もありますので、薬を否定しているわけではありません。どうぞご理解ください。)

 

うつの原因や症状は十人十色ですから一概には言えませんが、私と同じように、

「薬を飲んでも自分のうつは治らない気がする」

とお感じの方には、何かヒントになるようなお話ができるかもしれません。

 

もちろん、私はひとりのうつ経験者ではありますが、治療者ではないので、科学的な根拠に基づく明確に効果のある方法をご紹介できるわけではありません。

あくまでも、ひとつの体験談、ひとつの意見として参考にしていただければと思います。

このブログのテーマの紹介

このブログでは、

  • 私がどのようにうつになるまで追い込まれていったのかの経緯の分析
  • うつのどん底から約2年半間かけてどのように立ち直っていったのかの説明
  • うつの経験を通して得られた気づきの紹介
  • うつ経験者として、これからの人生をどのように生きていくのかの思索

などを主なテーマにしようと思っています。

こんなあなたにこのブログを読んでいただきたい

  • 今まさにうつで苦しんでいる方
  • ご家族やご友人がうつで苦しんでいる方
  • うつ経験者の生の声が聴きたい方

そんなあなたに捧げる、魂のブログです。

もし、ほんの少しでも、あなたのお役に立つことができたら、私にとってこれ以上の幸せはないです。

どうぞごゆっくりと散策していってくださいね。

次の記事からはうつ発症の経緯の分析が始まります

それではここから、私が生まれてからうつを発症するまでの経緯をゆっくりと振り返りながら、発症の原因を分析していきます。

自分がうつになるまでの経緯を丁寧に振り返って原因を分析することは、私がうつから立ち直る上でとても役に立った治療の一環です。

原因を深く分析し理解することは、うつを根本的に治療をして完治を目指す上でとても大切だと思います。

これを自分一人でやるのか、カウンセラーや精神科医などの治療者と一緒にやっていくのかは人それぞれですが、私は当時お金がなかったので、自力で取り組みました。

 

ちなみに、記事タイトルの最後についている【000】【001】などの番号は、私が記事を書いた順番です。

基本的には時系列順に書いています。

 

あなたにとって何か少しでもヒントになると信じて、精一杯の記事を書かせていただきます。

それでは、うつ発症の経緯と原因の分析記録をご紹介させていただきます。

次の記事(幼少期の記憶とうつの芽生え。常識という名の多数派グループから追い出される私。【001】)

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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