入社7ヶ月でうつ病により会社を退職→1か月後ハローワークへ【051】

どうも、てつです。

今日もお疲れ様です。

 

前々回の記事【049】では、うつ病により会社を辞めてからちょうど一ヶ月後に、ハローワークに向かったところまでを紹介しました。

そして、前回の記事【050】では、ハローワークに通い始めた頃からの記憶は私にとって辛いもののため、記憶にブロックがかかっており、約2ヶ月間、全く記事を書くことが出来なかったということをお話しました。

今回は、意を決して、辛かったハローワーク時代の記憶の扉をこじ開けて、当時の私の経験をご紹介します。

若干時系列的にさかのぼってしましますが、まずはハローワークに行こうと決心するまでの苦悩から振り返ります。

焦る気持ちから、心身の健康がほとんど回復していないにも関わらず、悲鳴を上げる自分の心と体に鞭打って、就職活動を始めてしまいました。

ハローワークに行く決心をするまでの苦悩

2015年10月31日に私は新卒入社した会社をうつ病により退職しました。そして、自宅で療養生活をしていました。

当時の生活は、眠っているか、食事をしているか、ゲームをしているか、動画サイトを見ているか、入院中の父や祖母の面会に行っているか、といった感じでした。全く生産性のない自分を責める一方で、何か生産的なことをしようとすると途端に気分が悪くなる(無意識からブレーキがかかる)という状態にありました。

(関連記事:休職期間中は何も生産的な活動ができない自分を責めた【044】)

 

「会社を辞めたのだから、履歴書に空白期間を作らないためにも、いち早く次の仕事を探さなければならない」と焦っていました。

さらに言えば、本当は会社を辞める前に次の職場を探して、退職と同時に新しい会社に就職するのがベストだと思っていました。
(これができる人は本当に尊敬します。当時の私にはそんな力が残っていませんでした。)

しかし、焦る気持ちとは裏腹に、体は思うように動かず、心からエネルギーが湧いてきませんでした。
何もしていないはずなのに、毎日疲れ果てていました。
いくら休息をとっても、体の怠さや疲労感が抜けないのです。
頭にはいつも霧がかかっているように感じられ、記憶力も落ち、注意力も散漫でした。(今もこの時期のことは思い出し難いです。)

 

うつ病になり、新卒入社した会社をたった7ヶ月で辞め、再就職活動もせずに毎日家でゴロゴロすることしかできない自分を毎日責めていました。

「自分には生きる価値がない。自分の人生はもう台無しだ。」と毎日思っていました。

昼間は「社会がちゃんとしている時間」です。その「ちゃんとしなくてはいけない時間」に、自分は何もできないことに罪悪感を覚えました。

深夜になり「社会も休んでいる時間」だと思えた時、「自分も休んだって罰は当たらないよね」と、少しだけ自分を責める気持ちが和らぎました。
深夜の方が気持ちが落ち着きました。
無意識による自己防衛反応なのか、罪悪感を感じる昼間はぼーっとしてしまい眠ってしまうことが多く、夜から明け方にかけては少し頭も働き、活動することができました。

 

退職したことで、最も大きなストレスであった「後ろめたい思いをしてまで会社で働く」ということから解放されました。

また、深刻ながんにより生死をさまよっていた父も奇跡的に一命をとりとめ、退院することができました。

そのため、外的なストレスが緩和され、私のうつ病の症状も最悪の状態からは脱していました。

(関連記事:父の看病のために失われた入社一年目のお盆休み【035】)

 

-100くらいだった状態が-80くらいに回復したことで、本来余力などなかったのですが、余力があるように錯覚してしまいました。

余力がある(と錯覚している)のに何もしない自分に対して、「自分はサボっている、甘えている」という自責の念が湧き出してきました。

「早く再就職しないと社会からドロップアウトしてしまう」という焦りが私の中に湧き出してきました。

 

外的なストレスが減ったのに、内的なストレスが増えたのです。より一層激しく自分を責めました。

 

そして、何の根拠もないのに、

「退職して1ヶ月以内に再就職のためのアクションを起こさないと大変なことになってしまう」

という妄想に囚われ、その期限の最終日である、11月30日に、ついにハローワークへ向かうことにしたのです。

証明写真に写った当時の自分の疲れ切った顔

ハローワークを利用する際には、身分証明書や離職票の他に、利用者カードなどに貼り付けるための証明写真が必要でした。

ハローワークに行く前に、近所のインスタント証明写真撮影機を利用して写真を撮りました。

いつも鏡で見ている顔と同じ顔の写真が撮れたので、撮影した当時は何も思わなかったのですが、3年経った今その写真を見返してみると、とても酷い顔をしています。

まず、現在よりも10kg近く太っていたため、顔の輪郭がかなり丸いです。運動不足、ストレスによる暴飲暴食が原因です。

当時は、嫌な気分を紛らわせるために毎日酒浸りになっていました。また、家に引きこもってゲームをして動画サイトを見続けるだけの生活でまともに運動もしていませんでしたから、体調も優れないように見えます。

そして、とても顔色が悪いです。目の下にはクマもあります。

 

次に表情です。

口元は微笑もうとしているものの、目元が全く笑えていません。

とてもチグハグで不気味な印象を受ける表情をしています。

目に力はなく、うつろで、魂が抜けているような、焦点が合っていないような、印象を受けます。

髪を切りに行くことすらできていなかったせいか、頭髪はボサボサです。

「もう人生に疲れました。生きるということがこんなにも辛く、難しいことならば、私はもうこれ以上生きていたくないです。」

とでも言いたげな顔をしています。

自分の中に敵がいて、自分自身を痛めつけているような顔をしています。自分で自分を愛すことができていない顔をしています。

 

近所に証明写真を撮りに行っただけで、ぐったりと疲れてしましました。

 

 

この証明写真を見るたびに私は、

「生き方を変える決心をしてよかった!保証なんてないけれど、きっとこの選択は間違っていない!絶対にあの頃のような生き方を繰り返してたまるものか!!!」

と思います。

前回の記事【050】でも少し触れましたように、この手の答えのないことを決断しなければならない際は、理性的な判断ではなかなか突破口が見出せないことが多いと思います。私の頭では、2年ほど考えても答えを出すことはできませんでした。

自分の主観・感性・直感を信じて、「エイッ!」と自分の人生を賭けて、進んでいくしかないのだと思います。

私はこの「あの苦しみを2度と味わいたくない」という、狂気にも似た激情によって今も突き動かされているところがあります。

決して、安定した未来が予想されているわけではありません。

しかし、今自分が進もうとしている方向性に対し、私の心が反発してブレーキをかけてこないため、これで良いのだろうと思っています。

 

少し冷静に考えてみると、未来のことなんて誰にも予測できないということが分かると思います。

最先端の科学を駆使しても、明日の天気ですら満足に当てられないのですから。

 

私は1年前の今日、この記事を書いている今を想像できませんでした。

きっと1年後の今日も、予想外のことが起きているでしょう。

30年後、資本主義が今のままの体制を維持しているのか、その時ちゃんと日本が日本のままなのか、誰にも分らないでしょう。

 

問題が起きたらその都度対処していきましょう。きっとそれが人生なのだと、私は思います。

今したいことの中で、今できることをして日々を過ごすしかないのだと思います。

 

ここで、うつ病真っただ中だった時に、ある親友が私にかけてくれた言葉を紹介します。

「てつさん。偶然性に身を開いてください。運命を受け入れてください。どうせ未来はコントロールできはしませんから。気楽に生きましょう。」

ハローワークへ出発

さて、話を元に戻します。

証明写真を撮って帰宅しました。
そして、昼食をとって休憩し、午後からハローワークに向かいました。

 

自宅から自転車で10分の距離に最寄りのハローワークがあります。

うつになる前までなら何とも思わないような距離を移動しただけなのに、思いのほか疲れてしまいました。

生活リズムの乱れから自律神経が乱れていたのでしょうか、血圧が安定せず、ふとした瞬間に血の気が引いて、視界が揺れました。

 

ちょうど私が駐輪場に自転車を停めた時、一人の中年男性が自転車を停めていました。

全身から悲壮感を漂わせており、目に力はなく、疲れ切った顔をしており、無精ひげを生やし、服装や頭髪を気にする余裕もないといった様子でした。

きっと私も同じような雰囲気を漂わせていたことでしょう。

ついにハローワークの扉を開いた

ついに、生まれて初めてハローワークの扉を開きました。

中に入るとすぐ正面に受付がありました。

そこで、「先日自己都合で会社を辞めました。再就職活動をしたいのですが。」

と受付の方に伝えたところ、担当の相談窓口に通されました。

 

ハローワークの利用者の中では、私は一番若い方で、多くの方は中年以降でした。

私が駐輪場で居合わせた中年男性と同じく、悲壮感を漂わせ、

「人生終わりだ」

と言いたげな表情をして、背中を丸めてうつむいている利用者の方がたくさんいました。

日本社会の生きづらさの片鱗を垣間見た気がしました。

 

相談窓口に着きました。私は必要書類を提出し、相談員からいつどのような理由で会社を辞めたのかを聞かれました。

 

私「2015年10月31日に、うつ病により業務が続けられなくなったため、自己都合で会社を辞めました。」

相談員「それは大変でしたね。今は、もう心身の状態は大丈夫ですか?」

私「最も症状が酷かった時に比べればかなり改善しました。(錯覚ですが)」

相談員「退職する前に医師の診断を受けましたか?」

私「はい。退職する前に、医師から診断書を発行してもらい、会社に提出しました。」

相談員「そうですか。雇用保険の被保険者期間が1年に満たない自己都合退職の方は本来、失業手当の支給対象ではないです。ただ、てつさんのように病気などが理由で、やむを得ず会社を辞めた方の場合、特例として自己都合退職であっても被保険者期間6か月以上であれば失業手当を受け取ることができます。てつさんは、失業手当の受給基準を満たしています。」

私「それは初めて知りました。」

相談員「ただ、フルタイムで働けるレベルまで回復したのかを我々が判断することはできません。医師から診断を受けてきてください。失業手当を受け取りながら就職活動をするためには医師の診断書が必要です。」

私「分かりました。」

相談員「12月の受給資格審査の日に、必要書類と一緒にその診断書を提出してください。」

私「はい。分かりました。」

相談員「今日の手続きは以上です。お疲れさまでした。」

私「ありがとうございました。」

 

こうして私はハローワークを後にしました。

緊張が解け、ドッと疲れが出ました。

 

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プロフィール

てつが自給菜園で育てた愛しい夏野菜ちゃんたち

てつと申します。

このブログに訪問していただき、ありがとうございます。

1991年生まれ。

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の製造業の技術職に就く。

入社約半年でうつ病を発症し退職。

約1年間の無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始。

うつ病の発症から約2年後、主観的にうつ病は完治したと実感。

2019年現在、
・週に30時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

・私がうつ病を発症した原因の分析

・うつ病のどん底から立ち上がるまでの物語

・うつ病を通して得られた人生に対する深い気付き

・うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

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