退職後の私を苦しめた時間は有意義に使うべきだという強迫観念【047】

どうも、てつです。

前回の記事【046】では、うつ病により新卒で入社した会社を退職したときの話をご紹介しました。

今回は、うつの療養期間に私の回復を妨げた、「時間は常に有意義に使わなければならないという強迫観念」について考察します。

失業してから1か月間はほとんど何も手につかなかった

2015年10月31日、私は新卒で入社した会社をうつ病により退職しました。

もうこれ以上この会社で仕事を続けるということに対して、生理的に無理というレベルの嫌悪感を抱いていたため、退職という決断をしましたが、内心は不安でいっぱいでした。

「これで自分は、社会からドロップアウトしてしてしまうのだ。」

と思いました。

 

毎日、ご飯を食べているか、ゲームをしているか動画を見ているか眠っているかして過ごしていました。

とにかく、やる気やエネルギーが自分の内側から湧いてきませんでした。

本来、うつ病の療養中なのだからしっかりと休息をとるべきです。

しかし当時の私は、休むことに罪悪感を感じ、毎日何の生産性もない時間を過ごしている自分を責める気持ちでいっぱいで、心も体も休まりませんでした。

自分の中に敵がいて、自分自身を攻撃し続けているような感覚でした。

自分自身を殴り続けながら体力を回復しようとしているようなものですから、いつまでたっても心身の健康は回復しませんでした。

 

「どうしてこんなにも、生きることは辛いのだろう。どうしてこんなにも、生きることは難しいのだろう。いっそ生まれてこなければこんなに苦しい思いをしなくて済んだのに。どうして親は私を生んでしまったのだろう。毎日死にたいくらい辛い。でも、自分には死ぬ勇気もない。」

そんなことばかり考えていました。

多くの日本人が患う有意義病

私たち日本人は、生まれてから大人になるまでずっと、

「時間とは有意義に使わなければならないものである」

と刷り込まれ続けます。

 

例えば、小学校では「夏休み」であるにもかかわらず、「夏休みの過ごし方の計画」を立てさせられます。

そして、終業式で先生が「皆さん、有意義な夏休みにしてくださいね」と、さも「とても良いアドバイスをしてあげました」というような顔で言うのです。

それに対し、多くの生徒たちは何の疑問も持たずに元気よく「はーい!」と答えるのです。(こうして、大人になるまでには従順なイエスマンの出来上がりです。)

 

多くの人はこのように、

「有意義で、生産的で、効率的で、合理的な時間の使い方をしてください。」

というメッセージを周囲の大人たちから、浴びせられ続けて大人になります。

 

そうやって育てられた子どもたちは、

「時間を有意義に効率的に合理的に生産的に過ごすことは良いことである」

と信じて疑わなくなります。

 

それにより、有意義な時間を過ごさないことに対して、罪悪感を覚えるようになっていってしまいます。

そういう大人に育てられた子どもは、自分が大人になって子どもができたときに、何の疑問も持たずに、自分の子供に対しても

「時間を有意義に使いなさい」

と刷り込みます。

こうして、洗脳が代々引き継がれていくのです。

関連記事:
時に善意は悪意よりも恐ろしい。子に対する親の愛(善意)。【018】

 

 

 

「有意義・生産的・効率的・合理的」と言った考え方は、結果を最短距離で得るための考え方です。

何か仕事をする上では有効であると言えます。

 

それでは、この考え方を「人生」に適応した場合、どうなるでしょう。

私は「時間=自分に残された寿命=残りの人生」だと常に考えています。

つまり、「時間=人生」と考えています。

したがって、私の中では「生産的な時間=生産的な人生」という式が成り立ちます。

AIなどを駆使して、「有意義な人生・生産的な人生・効率的な人生・合理的な人生」を送るための、最短ルートを計算させたら何が起こるでしょうか?

 

非常に極端な考え方かもしれませんが、すべての人、すべての生物にとっての最終的な結果とは「死」です。

したがって、人生の結果を得るための最短ルートは「今すぐ死ぬこと」になってしまうでしょう。

 

徹底して有意義で生産的で効率的で合理的な時間を過ごし、巨大な富や名声や権力を築き上げたとしても、最後は皆、火葬され、大部分は水や二酸化炭素となり大気に放出され、小さな骨壺に収まる程度のリン酸カルシウム(骨)しか残らないのです。

それが、人生の結果なのです。

 

そう考えれば、時間を有意義に過ごすことよりも、時間(人生)を味わい、その日その時その瞬間を噛み締めた方が、悔いのない人生になるのではないでしょうか。

 

例えば、登山をするとき、目的は山頂に到達することですが、それを最も合理的な方法で達成しようとした場合、「ヘリで山頂に行く」といった、味気ないことが起きてしまいます。しかし、結果を最短ルートで得るためのとても合理的で効率的な方法です。もっと言えば「どこでもドア」があれば数秒で「登頂」という結果が得られるでしょう。

登山の目的が登頂であっても、その道中で足元に咲く花に心を奪われたり、鳥の鳴き声や風の音や水のせせらぎに耳を傾けたり、自分の住んでいる地域と山の空気の味を比べたりと、その道中を味わうことに楽しさがあると思うのです。

もし途中で、アクシデントのため引き返すことになったとしても、道中の瞬間瞬間を楽しんでいたとたら、そこまで心残りもないのではないでしょうか。

 

人生にも同じことが言えます。

今日の夜眠って、明日の朝目覚める保証はどこにもありませんし、明日交通事故に遭って突然人生を終えることになるかもしれません。

人生を生産的に合理的に効率的に有意義に過ごそうと、「山頂」ばかりに目を奪われて、道中の小さな喜びを感じ取れなかったとしたら、それはとても悲しいことだと思います。

 

「休む」ということは、文字通り休息をとることです。目的は休むことであって、何か別の目的を達成するための時間であるというのであれば「休み」ではないと思うのです。

先ほど例にあげた「有意義な夏休み」という言葉は、私の感性からすれば、その言葉自体がすでに矛盾しています。

せめて「夏休み」という表現を避け、「夏期長期教育課程外学習期間」などと改名した方が、生徒たちの「休み」という言葉に対する理解の妨げにならないと思うのです。

 

もし私が小学校の教師なら、夏休みを迎える生徒たちに、

「一日一日をじっくりと味わってください。」

と伝えることでしょう。

 

この章の参考文献:

著者:泉谷閑示
タイトル:仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える
第一発行:2017年1月30日
発行所:株式会社 幻冬舎

うつの回復を妨げた有意義病

これまで述べてきたように、私がうつ病により新卒で入社した会社を退職し、療養生活に入ったときに、自分の心身を休めるうえで立ちはだかった最初の障壁は、

「時間を有意義に・生産的に・合理的に・効率的に使わないことは悪である」

という観念への囚われだったのです。

うつ病で心身ともにボロボロになって、会社を辞めて療養しようとしているのに、何もせず心身を休めることに罪悪感を覚えたのです。

 

私はある意味、この有意義病のせいでうつ病になったと言えます。

心や体の言い分(好き・嫌い、快・不快といったありのままの感性や直観)を無視して、理性により徹底的に自分自身をコントロールし、生産的で効率的で合理的で有意義な時間を過ごすように自らを仕向け、結果ばかりを追い求めていた人生の在り方そのものがうつ病を引き起こしたともいえるのです。

 

そして、心と体からやる気やエネルギーが湧いてこないのは、有意義病に囚われた私の理性に対する、心と体からの無言の抵抗であり、SOS信号であると考えられます。

まるで心と体が理性に対して「あなたの人生、このまま進んでいいの?立ち止まってよく考えてみて?」言っているようでした。

 

 

この無気力感の意味が「心と体の発するSOS信号なのだ」と言うことを肌感覚レベルで理解できるようになるまでに約8か月の時間を要しました。それまでの私はその無言のSOSを「困ったことだ」と解釈して、何の生産性もなく思い通りに動かない心と体に苛立ちを覚えていたのです。

そして、自分が有意義病を患っていたのだということを知り、自分を責める気持ちが十分に弱くなったころ、初めて本当の意味でのうつの回復期に入って行きました。

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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