休職期間中は何も生産的な活動ができない自分を責めた【044】

どうも、てつです。
前回の記事【043】では、生まれて初めて心療内科に行った時のことをご紹介しました。
今回は、休職期間に入った時の話です。
休職期間突入
医師からの診断書をもらい、正式に休職手続きをとることができました。
これで少なくとも、10月中は丸1か月間会社を休むことができます。
最もストレスを感じる原因の一つであった、会社から遠ざかることができました。
会社の人に対し表面上は、休職したのちに職場に復帰するということで話を進めていましたが、内心は休職期間の終了する10月31日付で、退職しようと考えていました。
再び出勤し、あの職場の空気を吸うのだと思っただけで吐き気がしたからです。
再就職できるのかどうかという不安などもありましたが、その不安をかき消すほどに、当時私はとにかく会社から逃れたいと思いました。
「また同じ会社にまた勤めなければならないたら、死んだほうがましだ」と思ってしまうほどに、会社に対して嫌悪感を抱いていました。
休職中に課長から呼び出された
休職期間がしばらく経ったある日、私は当時所属していた部署の課長に呼び出されました。
「詳しい事情を聞かせてくれないか。」とのことでした。
そしてその時私は、自分の当時置かれていた状況を説明した上で、
「10月31日付で、退職したい」
という旨を課長に伝えました。
私が見るからに弱っていたせいか、課長からは特に引き留められることも無く、
「今まで半年間お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。」
と声を掛けてもらいました。
その時点から、正式に退職手続きを進めることになりました。
当時の私の生活
当時休職中の私は、生産的な活動をする気力が全く湧きませんでした。
ご飯を食べているか、眠っているか、ゲームをしているか、動画サイトを見ているかという状況でした。
外出する気力も起きなかったので、一日中家の中でゴロゴロしていました。
まぁ、言ってしまえば俗に言う、
「う○こ製造機」
状態でしたね。
ただ、会社勤めの時は最悪だったお腹の調子が、会社を辞めてから回復し始めました。
務めている時は、いつも軟便で、色も黒っぽく、残便感もあり、1日に何度も排便していましたが、それらが改善されました。
大きなストレスのひとつであった、あの会社で仕事をするという事から、離れたからだと思います。
体は正直です。
しかし、精神面ではひたすらに
「自分はダメな人間である。社会不適合者である。これで自分の人生は台無しだ。」
というように、自分を責め続けていました。
外側から見れば、毎日ゴロゴロして、ゲームをしてご飯を食べて寝るだけという生活でしたが、内面はグチャグチャな状態でした。
眠っても眠っても疲れが取れませんでした。充電スピードを上回るスピードで放電し続けているような感覚でした。
そんな状態でも、病気の父や祖母の面会には行かなくてはなりません。
というか、当時はそれが私の唯一の仕事であり、私が外出するタイミングでした。
母が面会に行けない日、母の体調が優れない日は、私が代わりに面会に行くという感じでした。
そして、その時初めて、病床に横たわる父と祖母に、「会社を辞める」という旨を伝えました。
2人とも、心の底から私の選択を受け入れてくれたわけではなかったと思いますが、表面的には理解を示してくれました。激しく非難されることを想像していたため内心、「助かった」と思いました。
あるいは、病人の目から見ても、当時の私が憔悴しきっているように見え、非難する気が起きなかったのかもしれません。
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