うつの症状が酷く仕事を引き継ぎ会社を早退した【041】

どうも、てつです。
前回に引き続き、うつ急性期の頃のことを振り返っていきます。
今回は、うつの症状がひどく、会社を早退することになったときの話です。
仕事の引き継ぎと私物の片付け
医務室で、2~3時間休ませてもらった後に、私は職場に戻りました。
周囲の人達は心配してくれました。
私は周囲の人たちに、
「体調が優れないので、早退させていただきます。また、しばらく療養のためにお休みを貰うことになりました。これから仕事の引き継ぎを作業をします。それが済み次第、今日は帰らせていただきます。」
と伝えました。
表面的には、体調不良のため早退し、体調が回復し次第復帰するということにして、その場をしのぎました。
しかし内心は、
「もう、この職場の空気も吸いたくない。もう2度とここには戻りたくない。」
と思っていました。
私物を全て回収し、職場の上長に仕事の引き継ぎをしました。
早退
職場を後にし、私は家路につきました。
まだ明るい時間のガラガラのホームに1人佇んでいると、虚しくなりました。
「あぁ、自分は社会からドロップアウトしてしまったんだ。同期のみんなが今も必死で仕事をしているのに、私は駅のホームでただボーっと電車が来るのを待っているだけ。みんなには出来ても、私には出来ない。私はダメな人間だ。」
帰りの電車に乗り、椅子に腰掛けた時、私は泣いてしまいました。
人の目もありましたから、涙をこらえようとしましたが、止めることは出来ませんでした。
「これで自分の人生は終わってしまうんだ。台無しになってしまうんだ。」
と思いました。とても怖かったです。
顔をタオルで隠してしのぎました。
【001】の記事で用いた表現を再び使うと、ついにこの時私は「常識と言う名の多数はグループから追い出された」のです。
「常識的にはこうだ、自分以外の多くの人はこうだ、だから自分も頑張ろう」
そう思っても体が言うことを聞かなくなってしまいました。
自分に備わっている防衛本能が、常識に染まることを許しませんでした。
家に着いたあとは、ぐったりして、泥のように眠りました。
久しぶりにちゃんと眠れたような気がしました。
ブログの更新頻度について
最近ブログの更新頻度が落ちています。
その原因はいくつかあるのですが、主な理由は3つです。
1つ目は、うつの急性期の記憶は、思い出すのがとても辛く、なかなか筆が進まないということです。文章を書くこと自体は好きなのですが、苦しかったときのことをありありと思い出して、それを文字するという行為は苦痛を伴うのです。うつの症状が本当に酷かったときは、記憶力もかなり落ちていましたので思い出すのに時間がかかってしまっているという面もあります。辛い記憶だからこそ、記憶にアクセスすることを無意識がブロックしているのかもしれません。しかし、たとえ苦しくてもこの後、うつのどん底から立ち直っていき、最終的にはうつが完治するというストーリーをご紹介するうえで、避けては通れないことなので頑張ります。
2つ目は、食糧自給のために運営している菜園の運営が、忙しいということです。まだ、菜園を立ち上げて半年ほどの初心者なので、本でやり方を調べながらの手探り状態です。夏野菜の収穫もピークを迎えようとしていますし、雑草の勢いも強いです。また、秋から冬にかけて収穫する野菜の準備も始まっています。畑での作業自体は週に数時間程度なのですが、秋から冬にかけての作付け計画や、作付け範囲の拡大計画など、色々と考えることがあるのです。楽しいからどんどん追求して行きたいのですが、時間も体力も有限なのですべてやりたいだけやるという訳にもいかないところがもどかしいです。うつで苦しかったときのことを書くよりも、食糧自給の話を書いているときの方が楽しいです(笑) いずれ、うつから立ち直っていく過程や、完治してからのエピソードとしてご紹介しますのでお楽しみに。ちなみに農薬も化学肥料も使わない方法で、菜園を運営していますよ。
3つ目は、バイト先で立て続けに3回も理不尽なトラブルに巻き込まれてしまい、心身の疲労がたまっていたということです。職場の同僚の保身や、部下を数字や結果でしか見ない上司など、人間のエゴにまみれた側面に直面して少しへこんでいました。自分の中で、この問題の消化が終わったら、いつものように批判を交えながら分析していきますので、お楽しみに。
今後も、ゆっくりと更新を続けていきますので、どうか気長に続編をお待ちいただけると幸いです。
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