ついにうつ病を発症 当時私の置かれていた状況の紹介【039】

どうも、てつです。

うつ発症の原因分析もいよいよ大詰めです。前回に引き続き、私がうつを発症した原因をしっかりと考察していきます。

今回は、ついに私がうつを発症した時の話です。

初めての取引先への出張

前の週に予告されていた通り、私は上司に連れられて、取引先の会社へ出張しました。

片道百数十km離れた場所であるにもかかわらず、出発時刻は午後1時で、日帰りというスケジュールでした。

その時点で大幅な残業が確定していました。私は出張に出かける前から、意気消沈していました。

移動手段は社用車でした。高速道路のサービスエリアで昼食を取りつつ、取引先に向かいました。そして、片道3時間以上かけてようやく取引先の会社に到着したと記憶しています。

 

そこで取引先の技術者と初めて会い、名刺を交換しました。

そして、

「これからは新入社員のてつがこの部品を担当することになりました」

という旨を、上司が先方に伝えました。

前回もお話しましたが、私が今まで受けてきた教育内容では到底部品を担当することができるレベルには達していませんでした。

従って、部品の仕様の調整に関する、先方との会議の内容に私は全くついていくことができず、その会議は実質的には同行した上司と先方の技術者とのやり取りに終始しました。

 

出張先での仕事を終え、再び片道百数十kmの道のりを帰り始めました。

その時すでに時刻は、定時は超えていて日が暮れていました。

そして、帰り道に車の中で上司から、

「次回からは一人で出張に行って貰うから」

と告げられました。

 

私は、

「できません。今の私の能力では対応しきれない仕事ですし、会社から取引先の会社への行き方だって、全く覚えられていません。車についているナビも10年以上前のもので、当時と道の状況も変わっています。今日使った自動車専用道路も、このナビには登録されていません。」

私は必死で、今の自分の能力では、一人で処理しきれない仕事であるということを上司に訴えました。

しかし、上司は言いました。

「自動車専用道路がナビに載っていないなら、ナビに載っている一般道で行けば良いじゃないか。もう君も、入社して半年になるんだから、そろそろ独り立ちしなきゃ。」

 

ちなみに、一般道で行った場合、休憩なしで走り続けても片道5時間近くかかります。それを、日帰りで出張に行けというのです。

また、「そろそろ独り立ちしなきゃ」と言われましたが、そもそも私は独り立ちして部品を担当することができるほどの教育を受けていなかったのです。

入社してから約半年間、上司は自分の仕事が忙しいことを言い訳に、私の教育をまともに行っていませんでした。

上司が大量に抱えた自分の仕事を分散させるために、色々と理由をつけて私に自分の仕事を押し付けてきたのだと思いました。

 

3時間ほどかかって、ようやく会社に戻ってきました。

私は、身支度をして家に帰ろうとしました。

 

すると、上司に引き留められました。

「出張の報告書を書いてから帰って。出張に行った日の内に書くのが決まりだから。」

そう言われました。

 

初めての出張で緊張し長時間の移動で心身とも疲れ果てていました。また、これからは一人で部品を担当し、一人で出張もこなさなければならないということにプレッシャーも感じ、精神的にも追い込まれていました。

そんな悶々とした想いを抱えたまま、私は渋々と出張の報告書を書き、それを上司に提出して帰りました。

私が帰った後も、上司は残業に追われていました。

 

いずれ自分も上司のような状況に追い込まれると思うと、恐ろしかったです。

当時自分の置かれていた状況や心身の状態を整理

ここで、当時自分の置かれていた状況や自分の心身の状態を整理します。

仕事以外で発生した問題

  • 父が深刻ながんを患い、5つの病院で「手の施しようがない」と言われ続け、6つ目の病院にしてついに、やっとの思いで手術することが出来ました。当時、父は術後の処置やリハビリのため自宅から片道2時間の距離にある病院に入院中で、私は毎週末に面会に行っていました。
  • 父の手術は成功したものの、再発のリスクを抱えたままで、予断を許さない状況でした。
  • 父のがんの検査や手術がゴールデンウィークお盆休みといった会社の長期休業と被っていたため、自分の心身を休める時間を犠牲にして父の付き添いや看病をする必要がありました。心身の疲労は溜まる一方でした。
  • 母方の祖母の病気も深刻で、自宅から片道30分ほどの距離にある病院に入院していました。毎週末は、祖母の病院と父の病院に通って面会し、2人を元気づけなければなりませんでした。
  • 母方の祖父は、自分の妻(私の祖母)の病気が深刻なことに気を病み、酒浸りになってしまいました。祖父はもともとアルコール依存症を持っており、連続飲酒発作を起こして倒れることが増え始めていました。
  • 私の母にとっては、自分の実の母(私の祖母)と自分の実の父(私の祖父)と自分の夫(私の父)が同時に病気になったという状況に置かれていました。それにより、精神的に過度のストレスがかかり、克服しつつあったパニック障害や自律神経失調症をぶり返してしまいました。
  • 私は表面的に見れば、若くて健康でしたし、長男という立場上、父・祖母・祖父・母を元気づけなければなりませんでした。しかし、実際には心身ともに消耗しきっていました。
  • 入社してから、約半年間、父や祖母の看病・付き添い・面会のために、週末の休みや長期休業を使いました。それにより、心身の疲労を癒す暇がなく、私は疲れ果てていました。
  • 唯一の心の支えだった、当時お付き合いをしていた彼女との関係も悪化し始めていました。

会社に対する不信感

自分自身の心身の不調

  • 眠りから覚めたらまた苦しい1日が始まると思うと、怖くて眠れませんでした。(不眠)
  • 仕事に集中できませんでした。(集中力低下)
  • 車をぶつけてしまったり、歩いていると意図せず色々な場所に体をぶつけてしまったりすることが増えました。(空間認知力の低下)
  • 大切なものを失くしたり、忘れ物をしたりすることが増えました。(注意散漫)
  • 通勤の道中に涙が止まらなくなりました。(深く継続的な悲しみ)
  • いつもと同じ駐車場なのにうまく車が停められないことが増えました。(空間認知力の低下・海馬の機能の低下)
  • 日々飲酒量が増えて行きました。毎日酔いつぶれ、気絶するように眠っていました。(現実逃避・薬物依存)
  • 毎日便が黒く、軟便でした。1日に何度もトイレに行かなければなりませんでした。(消化管からの出血・自律神経の乱れ・腸内環境の乱れ)
  • いくら休息をとっても疲労感が抜けませんでした。
  • 自分なんて生きている価値がないという思いに駆られました。(無価値感、無意味感)
  • こんなはずでは・・・なぜみんなと同じように社会人生活ができないんだ、という焦りがありました。(焦燥感)
  • 自分の生命力が著しく弱っているように感じました。
  • 自分の内側からやる気やエネルギーが湧いて来なくなりました。
  • 自分の思考力や判断力や記憶力が著しく弱っているように感じました。
  • 仕事中、お腹や胸のあたりにいつも不快感が漂いため息が止まらなくなりました。
  • 汚れた血液が全身に充満していくような感覚がしました。(おそらくストレスホルモンの分泌を感じていました。)
  • 仕事中や、休みの日であっても仕事のことを想像するだけで、首・肩・背中が緊張し、バキバキに凝り固まってしまいました。(身体症状としてのストレスの現れ)
  • 常に全身がだるく、頭にはいつも霧がかかっているようでした。
  • まぶたが継続的に痙攣するようになりました。(数週間継続、身体症状としてのストレスの現れ)
  • 呼吸が上手くできず、息苦しさがずっと続きました。
  • 生きるということがこんなに辛いことならば、もう生きていたくないという思いに駆られました。(希死念慮)

自分はこうあるべきという強迫観念の囁き

  • 石の上にも3年だ。半年で会社を辞めたら再就職はできないぞ。半年くらいでこの仕事が向いているかどうかなんて常識的に考えてわかるはずがないだろう。(常識・噂・ことわざなどによる判断)
  • みんな同じように働いているんだ。これが社会人というものなんだ。労働は義務なんだ。弱音を吐かずに頑張れよ。こんなこともできなくて恥ずかしくないのか?(他者との比較、あるべき社会人像への囚われ)
  • もし病院に行って、精神病認定をされたら、社会不適合者、精神異常者のレッテルを貼られて、社会からドロップアウトするぞ。自分を精神異常者だと認めるのか?(うつや精神病に対する世間一般のイメージによる誤った判断)
  • 大学受験浪人から大学生時代まで続けていたように、心や感情を殺して、いつも通りロボットのように会社に行けばいいだけの話だろう?なぜできないんだ。(感情に流されず自分をしっかりとコントロールすることは疑いもなく良いことであるという固定観念)
  • お前は、まじめさと精神力の強さがだけが取り柄の人間ではなかったのか?「何を感じるかどう思うか」ではなく、「こうあるべき」が優先されなければならないだろう。
  • 自分以外の家族が病気などで大変な時だからこそ、長男のお前がしっかりしなくてどうする。甘えるな。弱音を吐くな。

うつを発症させたとどめの一撃

当時、うつを発症する直前の私の中には、いつも上記のようなの考えが渦巻き、思考の無限ループに陥っていました。

今にも潰れてしまいそうな自分を支えていたのは、これまで自分を強力に律し続けてきた強靭な精神力と根性だけでした。

 

ある日のことです。

この記事の最初に書いた、取引先への出張中に行われた会議での決定事項を、社内の生産部隊と共に「本当に自社の生産技術でその部品を作ることができるのか」ということを検証し、先方へ報告する期限が迫っていました。

もう、その日のうちに会社としての結論を出さなければ、取引先への報告期日に間に合いませんでした。

 

これまで何度もお話してきたように、当時私に与えられた、「部品を担当する」という仕事は、新入社員の私の能力では到底対応しきれないような難しい仕事でした。私はいつも、上司や先輩に相談しながら、やっとの思いで仕事を進めていました。

しかし、その日は頼りにしていた先輩も、私に無理難題を押し付けてくる上司も、出張のため、1日中不在でした。

 

したがって、私一人の力で、社内の生産部隊との部品の生産に関する擦り合わせをしなければ、期日に間に合わないという状況に追い込まれました。

私は、最後の力を振り絞り、自分の仕事を遂行しようとしました。

 

しかし、デスクワーク中に私は強烈な目眩と、吐き気に襲われました。

その場にいたたまれなくなってしまいました。

 

周囲の人からは心配され、

「てつ君、大丈夫?顔が真っ青だよ?」

と言われました。

 

私は、

「大丈夫です。医務室に行って、少し休ませていただきます。」

と言って、医務室に向かいました。

 

精神力により自分をコントロールすることが出来なくなり、仕事を継続できなくなったこの時が、私がうつを発症した瞬間でした。

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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