会社への不信感から自分の仕事に誇りが持てなくなった【036】

どうも、てつです。

前回(父の看病のために失われた入社一年目のお盆休み【035】)に引き続き、過去の記憶を辿りながら、私がうつになった原因を分析していきます。

今回は、全くお盆休みで休息が取れないまま業務が再開した時の話と、私が会社への不信感を抱き、自分の仕事に誇りが持てなくなっていった時の話です。

お盆休み終了

入社1年目のお盆休み中に、生死をかけた父のがんの摘出手術が行われました。

何とか手術は成功しました。

私は、父を励ますために手術前も手術日も手術後も、休みのうちはほぼ毎日、片道2時間かかる父の病院に通いつめていました。

そのため、会社のお盆休みが1週間以上あったにも関わらず、心身は休まるどころかますます疲れてしまいました。

そんな状態で、業務が再開されました。

 

会社の同期たちは、楽しい夏休みを過ごしたようで、リフレッシュした様子でした。

同期の1人が、疲れきった私の様子を見て、心配して声をかけてくれたことを今でも覚えています。

 

同期「何かあったの?」

私「父のがんの手術がお盆休み中にあったから、全く休めなかったんだ。」

 

そんなやり取りをした覚えがあります。

 

平日は会社に勤め、休日は父や祖母の入院している病院に通い、ゴールデンウィークもお盆休みも、父の看病のために溶けてなくなりました。

 

「家族が大変な時なんだから、長男の私がしっかりしなきゃ」

 

そう言い聞かせて、ここまで入社から約5ヶ月間を凌いできていましたが、いくら体に鞭を打ってみても、頭も体も上手く動かなくなってしまいました。

会社への不信感を抱いた原因を紹介

ここからは、私が会社への不信感を募らせた原因となった出来事を紹介していきます。

今回ご紹介するのは、「労災の揉み消し」と「形骸化した改善活動」についてです。

労災の揉み消し

1つ目のテーマは、「労災の揉み消し」です。

 

私の務めていた会社は機械部品メーカーで、勤務地は工場と事務所用の建物が併設された環境でした。

機械部品の生産現場は、かなりの危険を伴う場所もありました。

また製造された機械部品も、鋭利な構造であることが多かったため、体に触れれば簡単に怪我をするような物が会社内にゴロゴロしていました。

 

したがって、毎年一定数の労災があり、中には片足を失ったり、手の指を一本失ったりするなどの大事故が発生することがありました。

労災を防ぐために、会社は「安全第一」「労災ゼロ」を目標に掲げ、日々労災を減らすための改善活動を行っていました。

 

労災件数が前年比で何件増減したとか、何日間連続で労災が発生しなかったとか、そういった記録をつけて社員の安全に対する意識向上を図っていました。

 

労災があった場合は、労災が起きた部署の責任者と怪我をした本人は、報告書を作成することになっていました。

そして、その内容を定例会などで他の社員と共有して、再発防止策を練るというのが通常の流れでした。

 

私はある時、大怪我をした生産現場の作業員が、

「労災件数が増えると上から怒られるから。資料を作って定例会で報告しないといけなくなるから。大事にしたくないから。」

という理由で、労災を報告しなかったという話を、聞いてしまいました。

労災として認定されれば、治療代なども下りることになりますが、それでも報告しなかったのです。

 

しかもこういった話は

「よくあること」

だと聞かされました。

 

私は、会社のそのような慣習に直面した時に、寒気がしました。

 

この会社は人の命を軽んじていると思いました。

形骸化した改善活動

ここまでは、実際に労災が起きた時の話をしましたが、次は私自身が体験した、

「労災を未然に防ぐための改善活動について」

お話します。

 

当時私は、3次元のモデリングソフトを使って、パソコン上で機械部品の形状を調整する仕事をしていました。

したがって、仕事場は工場ではなく、併設された事務所のある建物でした。

 

デスクとパソコンが並んだ仕事場では、ほとんど労災が起きませんでした。

しかし、会社にとって労災対策は重大なテーマですから、どの部署も何かしらの改善活動をすることが求められていました。

 

そこで、私のいた部署で行われていたのが、

「労災を未然に防ぐために職場から危険因子を排除する」

という活動でした。

 

月に1件、私の所属していたグループからも改善提案をする必要がありました。

ある時、その月の改善提案をどのような内容にするかを決める会議に、私も出席することになりました。

会議中、発言する機会がありましたので、私は職場で最も危険があると思われる場所を挙げて、改善提案しました。

しかし、その提案は却下されました。

 

その理由は、

「それを改善してしまうと不便になるから」

というものでした。

 

それが、上司の判断でした。

 

「社員の安全や命よりも、仕事の能率や利便性を優先する会社なのか。労災の揉み消しの件と言い、今回の件と言い、この会社は一体どうなっているんだ。」

と私は思いました。

 

私の見つけた職場で最も危険だと思われる場所の改善活動をする代わりに、私は上司からあることを指示されました。

 

それは、

「小さな危険を作り出して写真を撮って、それを改善した写真も撮って報告しておいて。パソコンの配線がゴチャゴチャしているから、とりあえずそれを整理して報告しておけばいいよ。」

という内容でした。

 

私は失望しました。

 

そして、吐き気を催しながら、「嘘」ともいえるような報告書をイヤイヤ作成し、提出しました。

 

職場内の危険因子を減らすための報告書ではなく、「報告件数を満たすためだけの報告書」を常日頃から作っているということが分かってしまいました。

 

労災の揉み消しの件も、労災自体を減らすのではなく、「労災の報告件数を減らす」ということが日常的に行われているということが分かってしまいました。

 

つまり、会社のスローガンは、

「安全第一」「労災ゼロ」

ではなく、

「効率第一」「労災報告件数ゼロ」

だったのです。

 

会社への不信感は募る一方でした。

 

しかし、当時の私は、会社のやり方に反対する精神的な余力も、エネルギーもないほどに疲れ果てていたので、歪んだ会社の慣習に飲み込まれていったのでした。

 

 

私がうつを発症するまで、あと3週間です。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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