唯一心の支えだった彼女すらも私から遠ざかっていった【033】

どうも、てつです。

前回(父のがんが進行するにつれて追い込まれていった私の精神【032】)に引き続き、過去の記憶を探りながら、私のうつが発症した原因を分析していきます。

今回は、精神的に追い込まれていた私にとって唯一心の支えであった、当時お付き合いをしていた彼女との関係についてです。

当時、私の置かれていた状況を整理

当時の私の置かれていた状況をここで整理します。

 

父は末期がんで、効果的な治療ができないまま時間だけが過ぎていました。

最後の望みであった、国内で認可されたばかりの高額な新薬を、1か月間服用したものの効果がなく、ついに「なす術なし」という状況に陥っていました。

あとは、緩和ケアをしながら耐えしのぐくらいしか選択肢がありませんでした。

 

母方の祖母の病気も深刻で、余命あとわずかと言われていました。

 

母方の祖父はアルコール依存性で、妻(私の祖母)が余命あとわずかということに、強いストレスを感じ、命の危険が迫るほどの酷いお酒の飲み方を繰り返すようになりました。

 

母は、夫(私の父)と実の母(私の祖母)が今にも死んでしまいそうで、しかも実の父(私の祖父)が連続飲酒発作でいつ倒れてもおかしくないという状況に、強いストレスを感じていました。それにより、克服しつつあった自律神経失調症とパニック障害をぶり返していました。

 

私にとっては、父と祖母は今にも死にそうだし、祖父はアルコールに侵されているし、母も精神的に病んでいるという状況でした。

長男であり、見かけ上若くて健康な私は、周囲の病んだ家族を支えなければならない立場でした。

 

しかし、自分自身も新卒で入社した会社での仕事が肌に合わず、興味もやる気も湧かないのに、新入社員らしく振舞わなくてはならないことに強いストレスを感じていました。

また、組織の内側に入って初めてわかる、会社の悪いところが次々と見え始めてしまい、自分のやっている仕事に対する誇りや、やりがいを見失っていました。

 

自分はこの会社にこのまま居続けても幸せな人生が歩めないかもしれないという不安を抱え、私の精神は出口のない深い霧の中をさまよっているようでした。

 

頭では、

 

「みんなが大変な時だからこそ、自分がしっかりして、みんなを支えなければならない。仕事も頑張らなくてはならない。社会人なんてこんなもんだ。まずは3年くらい頑張らなくては転職もできない。」

 

と考えて、自分を奮い立たせようとしていました。

 

しかし、心と体は悲鳴を上げ始めていました。

過度のストレスと長時間のデスクワークの影響で、首・肩・目・背中は、バキバキに凝り固まり、体にはいつも怠さがありました。

 

自律神経の乱れからか、いつもお腹の調子が悪く軟便で、仕事中に何度もトイレに行かなくてはなりませんでした。

 

肌に合わない仕事を頑張ってこなすことで感じていたストレスのはけ口として、かなりの量のアルコールを摂取し、毎晩気絶するように眠りについていました。

アルコールの副作用で、内臓も体も疲労し、睡眠の質も悪くなりますから、日中の仕事の能率も落ちました。

思うように仕事が進まず、またストレスが溜まり、夜には大量の酒を飲むと言う悪循環に陥っていました。

 

しかし、飲まなければやってられませんでした。

 

平日を、騙し騙し何とかしのいで、休日に逃げ込むという日々を過ごしました。

当時の私には彼女くらいしか心の支えがなかった

当時私には、大学4年生の時から付き合っていた彼女がいました。

 

「父も祖母も死にそうだし、祖父も母も病んでいる。私がみんなを支えなければならない。私自身も、体調が悪いし、仕事に興味が持てず、会社の負の側面も見えてきてしまって自分の仕事に誇りや、やりがいが感じられないけれど、今は何とかしのぐしかない。」

 

という精神的に追い込まれた状況でしたが、月に何度か彼女と会っているときだけは、少し心が安らぎました。

 

デートの終わりには、

「また苦しい日常が始まってしまう」

と思い、私はいつも泣いていました。

 

当時の私には夢も希望もありませんでした。

 

彼女だけが心の支えでした。

 

精神的に、彼女に依存していました。

私と一緒に外国に行ってくれますか?

以前の記事(父の看病のために失われた入社一年目のゴールデンウィーク【030】)でも紹介したように、私は3~5年以内に外国の支社に行かされる可能性がありました。

 

私としては、状況が状況でしたし、海外支社のある場所の中には治安の悪い地域もありましたので、できることなら日本国内で働きたいと思っていました。

 

しかし、会社の命令であれば、従わなくてはなりません。

それが、会社に人生の多くを捧げるサラリーマンの宿命だからです。

 

 

だから私は彼女に聞きました。

 

「もし、数年後に、私が外国の支社に数年間行かなくてはならなくなったら、ついてきてくれますか?」

 

将来、結婚することも視野に入れてそう尋ねました。

 

 

彼女は答えました。

 

「時々遊びにいきますから、一人で頑張ってきてください。」

 

つまり、

「ダメ」

ということです。

 

彼女にとって私は

「重かった」

ようです。

 

私の唯一心の支えであった彼女が、私から遠ざかり始めていることを感じました。

 

 

私のうつが発症するまで約2か月です。

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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