新卒で配属された部署の上長の発言から漂うブラック企業臭【031】

どうも、てつです。

前回(父の看病のために失われた入社一年目のゴールデンウィーク【030】)に引き続き、私がうつになった原因を過去の記憶を辿りながら分析していきます。

今回は、新入社員として配属された先の部署で上司から告げられた衝撃的な話と、父に続いて祖母まで病に倒れたという話です。

配属先の部署で告げられた衝撃的な話

ゴールデンウィークが明けて、私は希望していた部署に配属されることになりました。

緊張の中、これから働く上で使う自分用の机の場所に案内されました。

そして、部署で働く全員の前で自己紹介をさせられました。

 

「〇〇大学出身の、てつと申します。いち早く仕事を覚えて、皆様のお役に立てるように頑張ります。分からないことだらけで至らない点も多いと思いますが、何卒ご指導の程をよろしくお願い申し上げます。」

 

同じ部署に配属されたもう一人の同期も自己紹介を終えました。

 

そして、配属先の中で一番役職が上の社員が、配属された私たち新入社員2人に向けて、

 

「2人とも、本配属おめでとう。今日から、うちの部署の一員として働いてもらいます。2人とも新入社員ですから、初めのうちは右も左もわからなくて、仕事ができなくても当然です。だから、君たち2人に今できることはとにかく精一杯頑張ることです。とにかく頑張ってください。倒れるまで働いてください。そこまで頑張っている姿を見せて初めて、周りの先輩たちも、あなた方2人に手を差し伸べてくれます。一緒に頑張りましょう。それでは、よろしくお願いします。期待していますよ。私からは、以上です。」

 

と言いました。

 

それを聞いたとき、私は背筋がゾッとしました。

サラリーマンとして死ぬほど働き続けて、最終的に過労や過度のストレスが一因となって深刻ながんになった父の姿が脳裏をよぎりました。

 

中学生の時から感じていた、

「大人になりたくない。サラリーマンになるのは怖い。」

という不安が的中し、現実のものになってしまった瞬間でした。

(関連記事:大人になるのが怖い・大人になりたくない思った中学3年生【005】)

祖母が病に倒れ入院

父のがんの種類は特定されましたが、効果のある治療は何も受けることができず、自宅療養していました。

日に日にやせ細って、腹水も溜まり始めていました。

がんによる栄養失調で、顔には死相が表れているようにも見えました。

 

そんな矢先に、母方の祖母が病に倒れました。

数年前から抱えていた病気が急に悪くなり、入院せざるを得なくなったのです。

これにより私を含めた家族全員と母方の祖父は、さらに精神的なダメージを受けました。

中でも最も心を病んだのは、私の母でした。

 

母にとっては、自分の夫が末期がんで、実の母(私にとっては祖母)も危険な状態にあるという状況です。

母は20代の時から、自律神経失調症やパニック障害を抱えていました。

 

その原因は、過去の記事で触れていますのでよろしければそちらもご覧下さい。

(関連記事:大人になるのが怖い・大人になりたくない思った中学3年生【005】 この記事の第3章で、母の精神疾患の原因を述べています。)

 

症状のピークの時期は過ぎて、その頃にはかなり良くなっていたのですが、父と祖母の病気をきっかけに、再び精神が不安定になってしまいました。

 

 

母は自分の体調や精神状態が優れないにもかかわらず、祖母の病院に毎日のように通って看病をし、自宅療養中の父の看病や通院の付き添いをしなければなりませんでした。

 

自宅療養中の末期がん患者の食事の支度を毎日するというのは、非常に難しいことです。

本来は、専門の栄養士などがついて、病院食という形で患者に提供されるようなものだからです。

しかし、それを母は一人で抱え込んでこなしていたのです。

 

母が日に日に、精神精神的に追い詰められていることを、一緒に住んでいた私はヒシヒシと感じていました。

父のがんの治療

父のがんの治療は、ほとんど何も進んでいませんでした。

献血での血液検査結果の数値の異常によりがんが見つかってから約3ヶ月間で得られた成果は、がんの種類が特定されたことだけでした。

 

父のがんは日本国内で一般的にら用いられる抗がん剤や放射線治療による治療効果がほとんど見込めない、非常に珍しく治療が難しいものでした。

かと言って、腫瘍のできた場所と腫瘍内部の血管の多さから、外科的に取り除くことは出来ないとの診断でした。

 

しかし、通院中のがんセンターの主治医からある時、こんな提案がありました。

 

「リスクの高い手術に果敢に挑戦する医師集団のいる病院があるのですが、ご紹介しましょうか?手術が成功する保証はありませんが。これでダメなら私にもあてがありません。」

 

何もしなければ、父はがんに蝕まれて死ぬだけでした。

ほんのわずかでも、治療できる可能性があるのならチャレンジするしかありませんでした。

 

「ぜひ、その病院に紹介状を書いてください。」

家族一同、先生にお願いしました。

 

 

私がうつになるまであと約3か月です。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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