父の死への恐怖や新社会人への不安を抱えながら出席した入社式【029】

どうも、てつです。

前回(大学卒業直前に父の余命宣告。入社の不安と父の死への恐怖。【028】)に引き続き、記憶を整理しながら私がうつになった原因を分析していきます。

今回は、父の死への恐怖や新社会人になることへの不安を抱えながら、大学の卒業式や入社式に出席したときの話です。

絶望の中、出席した卒業式

前回の記事(大学卒業直前に父の余命宣告。入社の不安と父の死への恐怖。【028】)でお話したように、某がんセンターでの検査により、父はがんであるということが確定しました。

大出血のリスクを伴う腫瘍組織の採取の手術が決行された日は、ちょうど私の大学の卒業式の日でした。

卒業式を欠席して手術に立ち会おうとしましたが、父からは

「大丈夫だから卒業式に出席しなさい」

と言われました。

私は学科での成績がトップだったため、学科約100名の代表として、式の中で壇上に上がり学位記を受け取る役に任命されされていたため、なるべくなら出席したかったのです。

父にも出席するように言われましたし、一生に1度の晴れ舞台だということもあり、私は卒業式に参加することにしました。

しかし、卒業式の間、私は上の空でした。

 

某大学病院では、

「腫瘍内部に太い血管が密集しており、腫瘍組織採取のために腫瘍に針を刺すことすら大出血のリスクを伴います。我々の病院では治療どころか検査すらできません。」

と言われていたほどの危険な検査だったからです。

 

転院先のがんセンターには、針による腫瘍組織の採取の専門医がいて、

「エコーで内部を見ながら、血管を慎重に避けて腫瘍組織を採取します」

と伝えられていました。

それを信じて、祈る思いで卒業式を過ごしました。

卒業式後の謝恩会

父の手術と卒業式は同じ日の午前中に行われました。

卒業式が終わったあと、父の手術に立ち会った家族に電話して、状況を確認しました。

 

「無事に終わったよ」

そう伝えられ、私はホッとしました。

 

もし何かあれば、卒業式の会場から父のいる病院に直行する予定でしたが、卒業式後の謝恩会にも出席できることになりました。

謝恩会では、私の学科の学生全員と、教授全員の前で、学科の代表としてスピーチさせられました。

事前に伝えられていなかったため、まともにスピーチの原稿を作る時間もありませんでした。

心にもないことを話した謝恩会のスピーチ

私としては、

「4年間ひたすら苦しかった。やっと抜け出せると思うと清々しい。でも、社会人になるのは怖い。」

というのが、本音でしたが、周囲の人たちから求められているであろう学科首席らしいコメントをしました。

  • 熱心に指導してくださった先輩方や先生方への感謝
  • 共に切磋琢磨した同期の仲間たちへの感謝
  • 4年間大学に通わせてくれた両親への感謝
  • 有意義な大学生活を送ることの出来る環境を提供してくれた大学への感謝

などの内容を話して、大きな拍手を貰いました。

「この場で本音を言ったら大ひんしゅくを買うだろうな」

と内心で思いながら、他者から求められる学科首席像を演じ切りました。

 

大学の同期や教授達からは首席を取ったことを賞賛され、

「社会人になっても頑張ってください。あなたなら大丈夫です。」

と激励されました。

 

しかし、私の心の中にある闇は大きくなるばかりでした。

「父はもうすぐ死んでしまうかもしれない」

「なぜこんなに皆から祝福されているのに心の底から喜べないなだろうか」

「皆は私に期待してくれているけれど、本当は社会人として上手くやっていく自信がない」

「私はたくさん勉強をしたからたまたま成績が良かっただけで、優秀な頭脳の持ち主だから首席が取れたわけではない」

そんな考えが頭をの中をグルグルと回っていました。

 

感情を押し殺したロボット人間を演じ続けた弊害です。

ありのままの自分の感性を否定し、あるべき自分に向かって自分を厳しくコントロールし続けた結果、私の精神構造は自己否定を基調とするものになってしましました。

人からいくら賞賛されたところで、自分で自分を愛することができませんでした。

4つ目の病院へ転院

父の腫瘍組織の採取手術は成功し、がんの種類などがある程度特定されましたが、

「治療は不可能です。緩和ケアをしてなるべく苦痛を感じないように工夫しながらしのぐしかないです。」

という、医師の考えは変わりませんでした。

 

「どうせ治療が出来ないなら、どこでやったって結果は同じだ」

という悲しい理由で、家から1番近いがんセンターに転院することになりました。

これで病院は4つめです。

メジャーな病気ならここまでたらいまわしになることはないのでしょうが、父のがんは非常に珍しく、専門家もほとんどいないため、このような事態に陥ってしまったと考えられます。

絶望の最中、出席した入社式

そんな最中に、私の入社式がありました。

私がずっと恐れていた社会人になる日が、ついに来てしまいました。

 

入社式の会場に集められた新入社員たちは、人事からあることを告げられました。

「これから入社式が始まるまでの時間を使って、皆さんに我社の社歌を覚えてもらいます。入社式では大きな声で素晴らしい合唱をして、会社の役員達に、『今年の新入社員はひと味違う』、と思ってもらえるように頑張りましょう。」

 

私はすぐに、

「新入社員自身の評価のためではなく、新入社員教育担当人事自身の役員からの評価を上げるためにやらされるのだな」

と直感しました。

なぜなら、私の代の採用担当兼、教育係の人事が

「皆さん、何か問題を起こしたり、すぐに会社を辞めたりしないで下さいね。私の評価に関わりますから。」

と言っていたからです。

 

社歌の合唱の善し悪しで、新入社員の役員からの評価が決まるという話自体が、かなり怪しげに感じられました。

しかし、それを分かったうえで、私は人事からの評価を上げるために、役員に媚びを売るために、

新入社員らしく、元気に明るくハキハキと従順に振舞いました。

 

本音を押し殺して、求められる姿を演じるのは慣れっこでした。

 

余談ですが、社歌斉唱は人事も納得のいくクオリティーに仕上がり、役員たちも上機嫌でした。

 

 

私のうつが発症するまで、あと5か月です。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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