大学卒業直前に父の余命宣告。入社の不安と父の死への恐怖。【028】

どうも、てつです。

前回の記事、就職先が無事に決まり学科首席も取れたのに嬉しくなかった理由【027】に引き続き、過去の記憶を振り返りながら、私のうつが発症した原因を分析していきます。

今回は、大学の卒業式を目前に父の深刻ながんが発覚したときの話です。

大学の卒業式直前に発見された父の腫瘍

私の父は、定期的に献血をする人でした。

合計30回以上、血液を赤十字に提供しています。

献血を定期的に行うメリットとして、

「精密な血液検査を無料で受けられる」

ということが挙げられます。

その血液検査で、血液中のある成分が異常な値を示していたため、病院で精密検査を受けることになりました。

それが、父のがん発覚のきっかけです。

近くの総合病院で、精密検査をしたところ、

「こんな腫瘍は今まで見たことがない」

と医師に言われてしまうほどの、珍しいタイプの腫瘍が見つかりました。

この段階では、腫瘍が良性か悪性かなどは不明でした。

某大学病院「リスクが高すぎて検査すらできません」

最初に診てもらった総合病院の設備では、腫瘍の正体を詳しく調べることはできませんでした。

詳しい検査のために、某大学病院を紹介してもらいました。

そして、その大学病院で医師に診断してもらった際に、衝撃的なことを告げられました。

「腫瘍内部に太い血管が密集しているため、検査のために腫瘍の一部を採取することにも、大出血のリスクが伴います。内視鏡や針によって腫瘍の組織を採取した際に、腹腔内で大出血が起きた場合、止血することが困難です。この病院では、治療どころか検査することもできません。」

私を含め、家族全員が絶望しました。

まだ、腫瘍が良性か悪性かも分かっていませんでしたから、まずは腫瘍の正体を明らかにしたいと思っていましたが、それすらも叶いませんでした。

大学病院から、某がんセンターを紹介されました。

3つ目の病院でついに腫瘍の正体が判明

父の腫瘍の発見後、3つ目の病院に転院しました。

病院のたらいまわし状態でした。

未だに腫瘍の正体すら判明していませんでした。

しかし、転院先のがんセンターで、ついに腫瘍組織を採取することができ、正体が特定されました。

腫瘍はやはり悪性でした。

つまり、がんという診断でした。

某がんセンターの医師「手の施しようがありません」

腫瘍の正体ががんだということが判明したものの、治療することは非常に難しいということが告げられました。

  • 腫瘍内に太い血管が通っており出血リスクが高すぎること
  • 非常に珍しい症例で、そのがんセンターでは手術の前例がないこと

などが主な理由でした。

「このタイプのがんに対して、放射線治療や抗がん剤治療はほとんど効果がありません。したがって、外科的に腫瘍を取り除く必要があります。しかし、腫瘍の状態から言って、大出血のリスクを伴い外科的手術はほぼ不可能です。手の施しようがありません。緩和ケアをして、苦痛を和らげることくらいしか、我々にはできません。」

担当医からはそのように告げられました。

事実上、末期がんの余命宣告でした。

それまで、体調が悪そうな様子もなく、毎日ハードにサラリーマンとして働いていた父が突然病に倒れました。

腫瘍の発見からたった2か月で、

「もう助かりません」

と告げられました。

父の余命宣告をされたときの私の心境

正直言って、父本人を含め、家族全員がその事実を受け入れられずにいました。

「緩和ケア」と聞いて、まだ私が医学部志望の浪人生だった時に経験した病院見学で目の当たりにした、末期がん患者の入院病棟の風景が思い出されました。

父も、私が末期がん患者の病棟で見かけた患者さんたちと同じように、あとは苦痛に耐えながら死を待つだけなのだと思うと、恐ろしく思いました。

もうすぐ新入社員として初めて会社に入ることに対する不安と、父がもうすぐ死んでしまうかもしれないのだという恐怖で、私の精神は不安定になって行きました。

「もし父が亡くなったら、私が父に代わって母や弟を経済的に支えていかなければならない」

ということが頭をよぎりました。

ただでさえ、自分の人生の目標を見失い夢も希望もない中で、サラリーマンという新しい世界に飛び込んでいかなければならないということに、強い精神的なストレスを感じていました。

それに加えて、父の余命宣告という重大な出来事が起きてしまったことで、私の精神はさらに大きなダメージを負いました。

「今の私にできることはただ、目の前にあるやるべきことをやるだけだ。もし父が死んだら、私が家族を養っていかなければならない。逃げることは許されない。やるべきことを必死でこなすだけだ。」

そのように自分に言い聞かせて、不安な気持ちを押し殺して前に進もうと決心しました。

大学受験浪人時代や大学時代に心を押し殺して生きるということを身に付けた私は、新社会人生活に向けて、より一層強く自分の感情をコントロールするようになりました。

さらに強く自分を律し、ロボット人間化しました。

当時の私には、そうすることしかできなかったのです。

 

私のうつが発症するまで、あと約半年です。

 

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プロフィール

てつが自給菜園で育てた愛しい夏野菜ちゃんたち

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ありがとうございます。

 

 

1991年生まれ。

 

某大学の工学系の学科を首席で卒業後

東証一部上場の製造業の技術職に就く。

 

入社約半年でうつ病を発症し退職。

 

約1年間の無職療養期間を経て

近所の小売店でアルバイトを開始。

 

うつ病の発症から約2年後

主観的にうつ病は完治したと実感。

 

 

2019年現在

・週に30時間のアルバイト

・食料を半自給するための菜園の運営

・ブログの運営

の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは

 

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