就職先が無事に決まり学科首席も取れたのに嬉しくなかった理由【027】

どうも、てつです。

前回の記事(何がしたいのか分からない。やりたい研究も就きたい職業もない【026】)に引き続き、過去の記憶を辿りながらうつ発症の原因を分析していきます。

今回は、就職活動から大学卒業くらいまでの時期の話です。

就職活動でたった4社しか受けなかった理由

前回もお話したように、

「どうしてもこの業界の、この業種に就きたい」

という願望が、当時の私には全くありませんでした。

 

だから、なるべく苦痛が少なさそうな選択をするという消極的な姿勢で就職活動を進めていました。

「入学してから今まで、ずっと学科で成績がトップでした」

ということを面接で伝え、それに好感を持ってくれた会社は、内々定をくれました。

 

就職活動の経験を通して、

「面接などによって就活生がどういう人間であるかをきちんと見抜けるほどの面接官はほとんどいない」

ということを感じました。

 

学歴フィルターやSPIの得点で就活生を振るいにかけるという現象を見てもそれは分かります。

そのような方法で、本当にその会社に必要な人材を確保できるのか疑問です。

 

学歴でフィルターをかけて集まるのは大学受験が得意だった人であり、SPIの得点でフィルターをかけて集まる人はSPIの問題を早く正確に解ける人です。

会社というチームの一員として、全力を尽くそうと思ってくれる人が集まるわけではないと思います。

 

もし、当時の私の本心を見抜いている面接官がいたとすれば、

「この学生は本当にうちの会社に入りたい訳では無い」

ということを簡単に見抜かれていたでしょう。

 

しかし、私のわかりやすいセールスポイントである

「学科首席」

という表面的な特徴に目を奪われ、内々定をくださった会社があったわけです。

ある意味、私は学歴フィルターによって受かったとも言えるでしょう。

 

「どうしてもこの会社に入って仕事がしたい」

という熱意があった訳ではありませんから。

 

私は就職活動を通して、合計4社の選考を受けました。

そして、1社は落ちて、2社は受かって、1社は選考途中辞退という結果に終わりました。

そして、内々定をくださった2つの会社のうち、

「どちらの会社も心から入りたい訳では無いけれど、こっちの会社の方が家から近いからここにしよう」

と言った、理由とも言えないような理由で入社する会社を決めてしまいました。

働きたくないなんて思ってはならないという思い込み

就職先も決まり、あとは卒業論文を仕上げて大学を卒業するだけ、という時になって私はあることに気づいてしまいました。

それは、

「あ、私は働きたくないんだ」

ということです。

 

就職が間近に迫ってきたことで、ずっと見ないふりをしていた本心が、顕在意識に現れた瞬間でした。

 

「そう言えば中学生の時、毎日死ぬほどサラリーマンとして働いている父親の姿を間近で見ていて、大人になりたくないって思ったなぁ」

ということも、思い出しました。

 

「サラリーマンになることを懲役40年と表現するようなブラックジョークもあるけれど、実際のところどうなんだろう。」

「自分の命や魂を切り売りしてお金を貰うのがサラリーマンという生き方だという話も聞いたことがある。」

「通学中の電車の中で見かける、生気を失って疲れきったサラリーマンを見ていると、ジョークや噂だとは思えない。」

「やっぱりサラリーマンになるのが怖い。」

そんなことをいつも考えていました。

(※サラリーマンという生き方に幸せを感じている方もたくさんいらっしゃいます。そういう方を否定している訳ではありません。)

 

しかし、当時の私は

「サラリーマンになりたくない、働きたくない、なんて考えてしまう私は幼い人間だ。ダメな人間だ。」

と自分の本音を封じ込めて、意識の奥底にしまい込もうと必死でした。

 

感情に流されないロボット人間を演じようと必死でした。

でも本当は、サラリーマンになって、父や通勤電車の中で死んだ目をしている大人たちと同じ生活に突入していくことがとても怖かったのです。

 

子供の時から周囲の大人たちに言われ続けてきた、

「楽しいのは学生のうちだけ。今のうちに遊んでおくといいよ。社会人になったら、遊ぶ時間も余力もなくなるから。」

という言葉が現実味を帯びてきました。

大学を学科首席で卒業したのに嬉しくなかった理由

やる気がないながらも何とか卒業研究をこなし、やっとの思いで卒業論文を書き上げました。

そして、卒業論文審査会で合格をもらい、晴れて大学を卒業できることが決まりました。

 

大学の入学試験での得点が学科で1位だった私は、そのまま4年間、1度も成績トップを譲ることなく大学を卒業することになりました。

私の学科の担任教授からは、

「入学時点から4年間1度もトップを譲らずに卒業した学生を、私は今まで見たことがない。本当に素晴らしいことだから、誇りに思っていいよ。大学院へ進学せずに就職してしまうことがとても惜しい。でも、君ならどこへ行ったって大丈夫だ。卒業おめでとう。」

そんな言葉をかけて、私を励ましてくれました。

 

大学の友人からも賞賛の嵐でした。

4年間ずっと学科2位だった友人からは、

「いやぁ、てつには結局1度も勝てなかったよ。でも、てつになら負けてもしょうがないよなって、不思議と納得しちゃうんだよね。てつが卒業したら、おれが繰り上がって実質学科1位だ (笑) おれは大学院に進んで頑張るよ。てつも社会人生活頑張って!何はともあれ、本当におめでとう!」

と賞賛の言葉を貰いました。

 

両親や親戚からもたくさん褒められました。

「中学生の時から勉強を頑張っていたけれど、やっぱりてつ君はお父さんみたいに優秀なんだね!大学を首席で卒業するなんて、中々ないことだよ。身内としても鼻が高い。」

そのようなことをいろんな人から言われました。

 

しかし私の心の中には、ずっと言いようのない虚無感が漂っていました。

 

「どうしてみんなこんなに私を褒めてくれるのに、私の心は満たされないのだろう。」

「どうして心の底から喜びの感情が湧いてこないのだろう。」

とても不思議でした。

 

「勝って兜の緒を締めよ、かな。舞い上がっても仕方がない。大学卒業なんてただの通過点だ。社会に出たら通用しないかもしれない。」

そんな風に、自分の中から喜びの感情が湧かないことを、自分に納得させました。

 

今思えば、これは完全に心を殺した任務遂行ロボットを演じ続けてきた弊害です。

 

私の「やりたくないことを頑張る力」は、2014年~2015年(23~24歳)でピークを迎えました。

はたから見ると、

「まじめで精神力が強く、ストレス耐性も高い、勤勉で優秀な人間」

という感じだったと思います。

 

心や感情や本心を封じ込めて、やりたくないことを頑張った結果です。

人から褒められて嬉しくなくても仕方がないです。

 

いくら客観的に、相対的に優れていたとしても、主観的で絶対的な満足感を得られるかどうかは別問題なのです。

自分で自分を好きになり、自分を愛するということができなくても仕方ありません。

愛も喜びも、自分の心から自然と湧き出すものです。

心を封じ込めていては、それらが湧き上がってくるはずもないのです。

 

本当は自分に向かないこと、興味が無いこと、好きではないことを頑張った結果、人から褒められても、それは

 

「自分を押し殺して、よく耐えたね。よく我慢したね。」

 

という意味しか持たないのです。

 

 

うつの発症まで、あと約半年です。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

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