何がしたいのか分からない。やりたい研究も就きたい職業もない【026】

どうも、てつです。

前回(大学で学科首席を取れたのに心から喜べなかった理由【025】)に引き続き、私のうつが発症するまでの経緯を分析していきます。

今回は大学3年の後半から4年生の就職活動にかけての記憶を分析します。

入りたいと思える研究室がない

そもそも私は、数学や物理などが小さな頃から苦手でした。

しかし、父の影響で理系に進まざるを得ない状況に追い込まれ、自分の意思とは関係なく理系の大学に入ることになりました。

 

「苦手を克服することは素晴らしいことである」

と刷り込まれ始めたのは、中学生くらいの頃からでしょうか。

思い返せば私は、苦手を克服することに人生の大切な時間をたくさん消費してきました。

 

やりたくないことを頑張るために、心を殺して任務遂行ロボットになることに徹してきました。

そんなことを大学生になっても繰り返していた結果、私は、

「自分が何がやりたいのか、何が好きなのか、何に興味があるのか」

を意識の奥底にしまい込んでしまい、思い出すことができなくなってしまいました。

 

そんな状況でしたが、卒業研究をするための研究室を選ばなくてはならない時期が来てしまいました。

 

結論から言うと、入りたいと思えるような研究室は一つもありませんでした。

だから私は、損得計算で研究室を選びました。

「あの研究室の卒業生は、優秀な人が多いらしい。教授が教育熱心らしい。」

そんな理由で、研究室を選びました。

入った研究室のメインテーマは苦手な物理学

物理や数学が苦手であるにもかかわらず、私の入った研究室の扱う主なテーマは「物理学」でした。

しかし、当時の私は

「苦手を克服するのは良いことだ」

と思っていましたから、その選択にそこまで疑問を持っていませんでした。

 

私が教授から与えられた研究テーマは、

「ある特殊な金属の性質や耐久性を調べ、その金属の使用されている部品の使用環境下における耐久年数を予測する式を作る」

というものでした。

金属の性質や耐久性を調査するための実験と、スーパーコンピューターを用いた物理現象の解析を組み合わせて、その部品が壊れていく過程を解き明かして行きました。

日々、計算や数式や数値の処理に追われました。

やる気が出ない

研究室に配属される前までは、各授業の予習復習をするなど、与えられた課題を淡々とこなしていれば問題は起きませんでした。

テストには模範解答があり、試験時間内に問題が全て解けるように準備をしておけば良いだけでした。

 

しかし、大学の卒業研究では、まだ誰も答えを知らないことを解き明かしていきます。

模範解答も、ゴールもありません。

 

学生一人一人の能力や熱意、調査能力、観察力、教授の判断など、様々な要素が組み合わさって、卒業研究の最終到達点が決まります。

 

そして、

「卒業研究の期間内ではここまでのことが明らかになりました。」

ということを、卒業論文にまとめ、内容を発表するのです。

 

多くの大学4年生は、生まれて初めて学問的な研究をするわけですから、学生一人一人の能力にそれほど差はありません。

したがって、重要になるのは、

「自分の研究テーマを解き明かしたいという情熱」

ということになります。

 

私はこれまで、

「やるべきだからやるだけ」

という姿勢で何とか大学生活をやり過ごしてきました。

 

しかし、卒業研究で大切なのは、

「やるべきだから」

という義務感ではなく、

「何としても解明してやる」

という熱意と自主性でした。

 

私は、そもそも物理や数学が苦手なこともあり、自分の研究テーマに興味が持てませんでした。

したがって、

「この物理現象の仕組みを何としても解明しよう」

という熱意はみじんも湧きませんでした。

 

やる気が出ないので、

「最低限、教授に怒られないように」

という消極的な姿勢で研究生活を送っていました。

味気ない、灰色の時間が過ぎて行きました。

就きたい職業がない

研究室配属と同じ時期に、就職活動が始まりました。

しかし、研究室選びと同様に、私には就きたいと思える職業はありませんでした。

 

大学院に進学するという選択肢もありましたが、両親から

「大学院に行く場合の学費は自分で何とかしてくれ」

と言われていました。

 

また、

「興味の持てない研究をこれ以上続けるのは精神的に辛い」

と思ったため、大学院に行くという選択肢は捨てました。

 

就職に有利になるからという理由だけで、自分で学費を賄いながら、興味の持てない研究を続けるということは私にはできませんでした。

 

さて、就職活動の話に戻ります。

卒業生の就職先の一覧を見ても、大学1年の時に担任の教授から言われた通り、

「ほとんどの卒業生は製造業の技術職」

に就いていました。

 

製造業の技術職という仕事に心から就きたいと思えなかった私には、

「給料、年間休日、勤務地、自宅からの距離」

などの表面的な基準でしか就職先を選ぶことが出来ませんでした。

なるべく苦痛が少なさそうな選択をするということしか出来ませんでした。

 

製造業の技術職以外の仕事も少しは検討しましたが、当時は自分が何がしたいのかを見失っていましたから、面倒な就活がスムーズに終わりそうな製造業の技術職の中から就職先を探しました。

やる気が出ない就職活動で、苦労するのも嫌でしたから、合格しやすいと思われる自分の所属している学科で扱っているテーマに関連のある企業を中心に応募することにしました。

しかし、そもそも自分のいる学科も、興味関心や将来の夢の達成のために選んだところではありません。

したがって、学科で扱っているテーマに関連している企業を選んでも、

「就職活動はしやすいが就きたい職業ではない」

という現象が起きました。

 

しかし、そのような悩みを周囲の大人たちに打ち明けても、

「やりたいことが分からないなんて普通のことだ。やりたいことが分かっている人の方が少数だ。」

などと言われるだけで、まともに取り合ってもらうことはできませんでした。

 

今の私なら、

「多数派の人間がやりたいことが分からないという状況に陥っているからと言って、それが普通だ、当たり前だ、問題ないんだと思考停止するのはおかしい。やりたいことを自覚できている人は、何故それを自覚することができているのか。やりたいことが自覚てきていない人との違いはどういうところにあるのかについて真剣に考える必要がある。そして、その答えの中にこの問題の本質が隠されている。」

と断言することができます。

 

しかし、当時の私は周囲の人間の言うことに流されて

「多数派がそうなんだから、私もやりたいことが分からなくたってしょうがない」

と諦めていました。

 

そして、

「とりあえず就職して働きながら自分がどうしたいのか考えよう」

と自分の人生に関する重要な問題に直面することを先送りにしたのでした。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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