大学受験浪人2年目で志望校の合格率70%→センター試験で失敗【022】

どうも、てつです。

前回(自己否定による自信喪失。主観的な幸せと一般的な幸せ。【021】)に引き続き、過去の記憶を振り返りながら、私がどのようにうつになっていったのかを分析していきます。

今回は、2年間大学受験浪人生として勉強してきたにもかかわらず、受験で失敗した話です。

週に7日間休みなく予備校に通った

前回の記事でご紹介したように、私は本当はやりたくない勉強を無理やりこなすために、感情を殺したロボットになることに徹しました。

休日も設けず、授業があってもなくても毎日予備校に通って勉強していました。

弱音を吐くことも休むことも、自分に対して許可しませんでした。

弱音を吐くことや、勉強すべきなのに休息をとることは

「精神的に幼いことである」

と思っていたからです。

 

いつも体がだるく、頭の切れも悪く、体調もすぐれない中、気合と根性と精神力だけで日々を乗り切っていました。

その代償として、前回も触れたように、慢性的な軟便や抜け毛など、様々な形で体が悲鳴を上げていました。

しかし、そんなことで立ち止まることは自分が許しませんでした。

 

父が私をコントロールするためにかけた様々な言葉や、受験生はこうあるべきだという自分の中にある常識が、私の心をドンドン侵食して行きました。

その結果、私は

「本当は勉強なんてしたくない」

という本心も見失い、

「自ら望んで勉強しているのだ」

と思い込んでいくようになりました。

中学のブラック部活の部長との再会

浪人2年目のある日、私がいつものようにラウンジで自習をしている時、ふと見覚えのある人を見つけました。

それは何と、中学のバスケットボール部の部長でした。

中学でのブラック部活の体験談でもご紹介したように、当時私の代を率いていた部長はかなり考え方が偏っている人物でした。

部長が正しいと思うことを部員全員に押し付けてくる独裁者のような人物だったのです。

 

当時私は、そんな部長が嫌いでした。

だから、予備校で部長に再会したとき、私はギョッとしました。

しかし、数年ぶりの再会だったということもあり、少し世間話や思い出話をしました。

その中で、意外なことに部長は、

「当時は自分勝手にやり過ぎてしまった。今では反省している。本当に申し訳ない。」

ということを言ってきたのです。

 

コーチや顧問とともにブラック部活の体制を維持していた主犯格が、当時万年補欠だった私に謝罪してきたのです。

その言葉を聞いて、

「部長、変わったな。」

と思い、私も当時のことはすべて水に流し、謝罪を受け入れ、彼を許しました。

 

その後は、定期的に予備校内で会い、2浪目同士励まし合いながら、受験勉強をしていました。

中学の時大嫌いだった人物が、今では定期的に交流する親友に変わりました。

苦しい時間を共に支え合い励まし合った仲間は、人生の財産になるようです。

入試直前の模擬試験、志望校合格率は70%

虚栄を張らず、プライドを捨てて、自分の学力にあったレベルから、勉強をやり直して、日々必死で努力を続けました。

その結果、受験直前の模擬試験では、第一志望の国立大学の合格率は70%という判定で、十分に合格できる水準でした。

このままの調子で頑張れば、きっと合格できると思っていました。

迎えたセンター試験当日、模試の予想得点より100点以上低かった

私にとっては、3回目のセンター試験です。

1回目や2回目とは違った、

「もう絶対に失敗できない」

という緊張感がありました。

 

直前の模擬試験では合格率70%でした。

十分に勝機はありました。

一科目目は、センター試験直前模試で当日の予想得点が100点だった「倫理」です。

自信をもって臨みました。

 

しかし、問題を解いている途中に、宗教名の誤表記を発見してしましました。

具体的に言うと、文中に「イスラーム教」という表現があったのです。

 

当時私は予備校の先生に、

「記述式の答案などでイスラーム教と書いてしまったら大きく減点されます」

と言われていましたので、これは完全な誤表記だと認識しました。

「イスラーム」とは「イスラム教」という意味なので、「イスラーム教」と書くと「イスラム教教」という意味の二重表現になってしまうと、予備校の先生に教わっていました。

 

それにより、私は作題者を信用できなくなってしましました。

専門外の人が、高校の教科書を参考に片手間で作った問題なのではないかと思ってしまいました。

 

倫理が好きだったこと、得意科目だったことが裏目に出てしまったのです。

いつもは制限時間にかなり余裕をもって解き終わることができていた倫理ですが、疑心暗鬼の中で解いていったので時間がかかってしまいました。

また、問題の深読みをし過ぎて、答えが分からなくなってしまいました。

試験時間が終わったとき、

「これはダメかもしれない。」

という感想を抱きました。

(帰宅後の自己採点では、何と80点しかとることが出来ていませんでした。

センター試験直前模試の予想得点から、1科目ですでに20点も低い点を取ってしましました。)

当然、他の科目でその遅れを取り返さなければと、肩に力が入ってしまいます。

それが裏目に出て、いつもなら問題なく解けるような問題が、スムーズに解けなくなってしましました。

そのまま、悪い流れで2日目も終え、結果として、センター試験直前模試の当日予想得点より合計100点以上低い点を取ってしまうという結果に終わりました。

志望校には受からず

志望校に出願し、2次試験も受けましたが、志望校には合格できませんでした。

後期試験を受験することも検討しましたが、その年は東日本大震災があった年で日本中が混乱していましたし、後期試験の方が難易度が高かったため受験しませんでした。

唯一合格した併願校へ

第一志望の大学に万が一受からなかったときの為に、と受験していたいくつかの私立大学がありました。

その中で唯一しっかりと過去問研究をしていた大学に受かりました。

 

精神的にも、経済的にも、もうこれ以上大学受験浪人を続けることはできませんでした。

私はその大学に行かざるを得ませんでした。

私はとても落ち込みました。

もうこれで、父や伯父のような優秀な人間にはなれないなと思いました。

2年間も浪人して、中堅私立大学入学ということが、当時の私にとっては耐えられないほど恥ずかしいことのように思えたのです。

 

前の記事(自己否定による自信喪失。主観的な幸せと一般的な幸せ。【021】)

目次(全記事一覧)

次の記事(やりたいことがなかったからやるべきことに徹した大学時代【023】)

自己紹介【000】

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

ページ上部へ戻る