プライドを捨て高校数学を1からやり直すも、再び大学全落ち。【017】

どうも、てつです。

前回(病院見学した結果、自分のような人間は医者になるべきではないと思った【016】)に引き続き、私の人格形成に大きな影響を与えたと思われる記憶を振り返りながら、私がうつになった原因を探っていきます。

今回は、1年間浪人して必死に勉強した努力もむなしく、ひとつも大学に受からなかった話です。

大学に入ることができたとしてもその先には苦しいサラリーマン生活が待っている

浪人1年目の秋、私は医学部受験を断念しました。

目標を見失った私は、自分が予備校に通っていることに意味を見出せなくなりました。

医者になるという目標を達成するために理系に進んだので、その目標を見失ったとき、理系にいること自体の意味も失われました。

理系の学部に進んで学びたいと思えることがなかったのです。

中学の時から、死ぬほど働く父を間近で見ていて感じた、「大人になりたくない。サラリーマンになりたくない。」という感情が再び蘇りました。

良い大学を出て、良い企業に就職しても、父のような生活が待っていると思うと、大学に行きたいとも思えませんでした。

(関連記事:大人になるのが怖い・大人になりたくない思った中学3年生【005】)

理学療法士の専門学校に進むという選択肢

前回の記事でご紹介した病院見学をきっかけに私は、

「自分には医者になる資格も覚悟も頭脳もまるで足りていない」

ということを痛いほど感じ、唯一の目標であった医者になることを諦めました。

(関連記事:病院見学した結果、自分のような人間は医者になるべきではないと思った【016】)

 

そんな時、大学に行って学びたいこともなかった私の中に、専門学校に通うという選択肢が生まれました。

私はスポーツドクターになりたいと思っていたくらいですから、人体に興味がありました。

怪我や手術などをきっかけに、体が動かしづらくなった人のリハビリをサポートする仕事として、理学療法士という仕事があることを知りました。

医者になることはできなくても、そういう形で働くことなら私にもできるかもしれないと思いました。

 

そこで両親に、相談しました。

私「医者になるのは諦めて、理学療法士の専門学校に通いたい。」

両親「てつ、お願いだから大学だけは卒業してくれ。ここまで勉強してきたのにもったいない。大学に入った後は好きにしていいから。」

私「大学で学びたいことがないんだ。」

両親「それでも大学だけは卒業してくれ。頼む。」

 

子供にとって親の言葉は絶対です。

生活費も学費も全て親が握っていますから。

私は、理学療法士という選択肢も奪われ、自分がどうすればいいのか本当に分からなくなってしましました。

 

両親は、子供をとにかく大学に行かせることが、その子の幸せにつながると信じて疑わなかったようです。

(後に、理学療法士を目指せる大学があることを知りました。しかし、当時の私は気づきませんでしたし、両親は私が理学療法士になること自体が気に入らなかったようで、そう言った助言もしてくれませんでした。)

このことが、私をうつの発症にまた一歩近づけたことに、当時の両親は全く気付いていなかったのでしょう。

ここでも私は、自分の感性によってではなく、両親の求めたとおりの人生を歩むことを選んでしまいました。

私は、自分が腹の底でどう思っているのかを、どんどん感じ取れなくなっていきました。

自分の感性も感情も、信じられなくなり、無視するようになっていきました。

友達がその大学を目指しているからという理由で志望校を決定

文系の学部であれば心理学や哲学など、自分の興味のある学問の分野もありました。

しかし、文系に進むという選択肢は父によって奪われていたので、理系の学部に進むしかありませんでした。

理系の学部を見回しても、学びたいと思えるものは見つけられませんでした。

更に正直に言えば、そもそも私は当時、大学に行く意味が感じられなかったので、必死になって調べもしなかったというのが実際の状況に近いです。

私は、「自分と同じように浪人している仲の良い友達が目指しているから」

という理由だけで、ある難関国立大学の理系の学部を志望することにしました。

この時も、自分の人生が、人任せになってしまっていました。

しかし、当時の私にはそうすることしかできませんでした。

私は「国公立大学スーパーレベル医学部コース」の授業を受けながら、変更した志望校の受験対策を始めました。

理系なのに数学が苦手科目

私は小学生の算数でつまづいた時から、計算や数学に苦手意識がありました。

浪人生になっても相変わらず数学は苦手でした。

にもかかわらず、私の受けていた数学の授業は、国公立大学の医学部受験に対応するレベルの非常にハイレベルなものでした。

当然、授業についていくことはできず、日々授業内容の消化不良に陥っていました。

そこで私は、当時受けていた数学の授業を全て放棄して、高校数学を1からやり直すことにしました。

この時、受験まで残り4か月でした。

生まれて初めて自分は数学ができないということを受け入れた

自分の学力に合わないハイレベルな授業をいくら受けても無駄でした。

私は生まれて初めて、数学ができないという、ありのままの自分の性質を認め、虚栄を張らずに謙虚に自分の学力にあったレベルから数学の勉強を始めました。

そして、必死で勉強を続けた結果、やっとの思いで模擬試験の数学で平均点をとれるようになりました。

私としては大きな進歩でした。

しかし相変わらず、数学には苦手意識がありました。

志望校の合格率は60%

季節は冬になり、ついに受験シーズンを迎えました。

受験直前の模擬試験では、志望校の合格率は60%で、ギリギリ合格圏内でした。

そして迎えたセンター試験当日、私は緊張のし過ぎで頭に血が上ってフワフワしてしまい、まともな思考ができなくなってしまいました。

自分の持っている力以上を出そうと、力んでしまったからでしょう。

センター試験直前の模擬試験では100点だった物理も、当日は50点といった具合で、全科目壊滅しました。

現役で受験したときと、合計得点はほとんど変わらないという結果になってしましました。

二次試験に進みましたが、結局志望校には受かりませんでした。

併願していた私立大学は、過去問研究などの対策をほとんどしていなかったこともあり、全て落ちてしまいました。

1年間浪人したにもかかわらず、現役の時と同じく、どこの大学にも受かりませんでした。

親に土下座して浪人の継続を懇願した

私は親に土下座して、

「もう一年だけ浪人させてください。次は必ず受かりますから。」

と泣きながらお願いし、浪人生活を続けることになりました。

しかし、本当は心から行きたいと思える大学も学部もなく、

「両親の期待に応えるために大学に行く」

という感覚でした。

 

地獄の浪人2年目が始まります。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

詳細な自己紹介はこちらのリンクからどうぞ。

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