病院見学した結果、自分のような人間は医者になるべきではないと思った【016】

どうも、てつです。

前回(地獄の大学受験浪人生活。1浪すれば医学部に受かるという私の幻想。【015】)に引き続き、私がうつになった原因を、過去の記憶をたどりながら分析していきます。

今回は、医学部を目指して浪人していた時に、知人の勤める総合病院を見学させてもらった話です。

夏期講習期間に突入

予備校の前期の講義期間が終わり、夏期講習期間に入りました。

ちょうどその頃、私が医学部受験生だと知った医療従事者の知人から、

「私の勤務先の病院を見学してみないか?」

と誘われました。

私は、

「自分は本当に医者になりたいのか?自分には医者になる覚悟や資格はあるのか?」

と悩んでいましたので、それを確かめるためにも、

「ぜひ見学させてください。」

とその医療従事者の方にお願いしました。

病院見学

夏の日差しが熱く照り付ける中、私は見学させてもらうことになった病院に向かいました。

病院に行く機会と言えば、風邪をひいたときに外来患者としてたまにお世話になる程度でしたので、本当の意味で病院がどういうところなのか全く知りませんでした。

貸していただいた白衣を着て、ついに見学が始まりました。

まず最初に感じたことは、

「とても慌ただしいな」

ということでした。

今まで、外来患者として表面的にしか病院を見ていませんでしたが、中で働くスタッフや先生たちはとても忙しそうにしていました。

皆さんとても歩くのが早くて驚きました。

当時私の志望していた大学の医学部出身の医師もいらっしゃったので、私は「未来の後輩」として紹介していただき、お話を伺うことができました。

私が子供の頃、風邪をひいてよく通ったかかりつけの町医者さんとは、かなり雰囲気が違いました。

私はその方を見て、

「まだお若いのに、とても疲れた顔をしている」

という印象を持ちました。

その方からは、次のようなことをお話しいただきました。

  • 総合病院の勤務医はサラリーマンと変わらないということ
  • 当直などがあり、36時間連続勤務などの体力的に辛い仕事が毎週のようにあるということ
  • 休みの日も、担当している患者さんが危険な状態の時はいつでも電話に出られるようにして置き、いつでも病院に駆け付けられるようにしておかなければならないということ
  • 研修医しごきのようなものがあって、研修医時代は辛い思いをしたということ
  • 長時間労働など、勤務医の労働環境は非常に厳しいということ
  • 私が思い描いていた「陸上選手専門のスポーツドクター」という夢の実現は非常に難しいということ
  • 親の治療院を引き継ぐなどの特殊な場合を除いて、開業するのはとても難しいということ
  • その方は何年も浪人してやっと医学部に受かったということ
  • 現役や1浪目で医学部に受かる人は一握りの本当に優秀な人間であるということ

お忙しい中、「未来の後輩のために」と時間を割いてくださって、たくさんお話を聞かせてくれました。

実際に勤務医として働いている方から、直接お話を聞くことができたので、私としては、どんな噂話やネットで得た知識よりも参考になりました。

第一印象として、とても自己犠牲的な働き方だと思いました。

人の命に直接的に関わる仕事のため責任も非常に重く、休みの日も精神的に拘束され続け、気持ちが休まる時間がないような、厳しい仕事だと思いました。

だからこそ、お医者さんのお給料は高額なんだと納得しました。

命や精神を擦り減らして人に尽くし、その対価としてたくさんのお金を貰っているんだなと思いました。

「そんな厳しい世界に飛び込んでやっていけるのだろうか?」

と、私はとても不安になりました。

末期がん患者の入院病棟の見学

病院内の様々な場所を案内していただきましたが、その中でも特に印象に残っていて、今も頭から離れないことがあります。

それは、末期がん患者の入院病棟です。

そこは、今の医学ではもうこれ以上手の施しようがないような重篤ながん患者の方々が入院している病棟でした。

がんに侵されていることによって感じる激しい苦痛を、強力な鎮痛剤などで緩和し、患者さんが自らの寿命を全うするのを見守る場所でした。

患者さんの中には、自分が末期がんで、余命が後わずかであるということを知らされていない人もいるようでした。

ある患者さんは、鎮痛剤の副作用なのか爛々とした目をしてベッドに横たわったまま回診の先生にこんなことを言っていました。

「先生、私はいつ治るんでしょうか?」

その患者さんと先生とのやり取りを見ていて、私は泣きそうになりました。

そして、

「自分には日々命の瀬戸際に立って患者さんに寄り添う覚悟がない」

ということを痛いほど感じました。

 

私の思い描いた「大好きな陸上選手の怪我を治せたら楽しいだろうな」

という夢は、私の道楽に過ぎないのだと気づきました。

その人の選手生命が繋がるのか、ここで絶たれるのかという瀬戸際に日々立ち合い続けることになるという、当たり前のことがイメージできていませんでした。

この程度の覚悟では、例え医者になることができたとしても、良い医者にはなることができないだろうと思いました。

そして私は、病院を見学させていただいたことにお礼を言って、病院を後にし、悶々としたやるせない思いを抱えたまま、電車で予備校に向かったのでした。

自分には医者になる資格も能力もない

病院見学によって、医師として働くことの大変さや、医師になるにあたって自分の抱いていた覚悟が如何に弱々しいものであったのかということを、私は思い知らされました。

また医師になるために必要な明晰な頭脳も、私にはないと思いました。

浪人1年目の秋、私は医者になることを諦めました。

私は目標を見失い、再び深い霧の中をさまよい始めました。

医者になることをあきらめた時、大学受験予備校にいること自体の意味も失われ、同時に自分の生きる意味も分からなくなってしましました。

 

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プロフィール

てつが自給菜園で育てた愛しい夏野菜ちゃんたち

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ありがとうございます。

 

 

1991年生まれ。

 

某大学の工学系の学科を首席で卒業後

東証一部上場の製造業の技術職に就く。

 

入社約半年でうつ病を発症し退職。

 

約1年間の無職療養期間を経て

近所の小売店でアルバイトを開始。

 

うつ病の発症から約2年後

主観的にうつ病は完治したと実感。

 

 

2019年現在

・週に30時間のアルバイト

・食料を半自給するための菜園の運営

・ブログの運営

の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは

 

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