大学受験失敗。失恋のショック。自暴自棄の引きこもり生活。【014】

どうも、てつです。
前回(部活を引退し大学受験対策を始めるも体調不良に悩まされる【013】)に引き続き、過去の記憶をさかのぼりながら、私がうつになった原因を分析していきます。
今回は、大学受験の失敗と失恋のショックが重なり、自暴自棄の引きこもり生活をしていた時の話です。
どうせ今年は受からない
自分の学力は高3の夏の時点で偏差値50程度で、目標としていた医学部に受かるために必要な学力の偏差値は約70でした。
たった数ヶ月間の勉強では、到底超えられない壁でした。
医学部を目指すと言っても、
「自分の命をかけて人を救うんだ」
というような、強い覚悟があった訳ではなく、前回の記事でも触れたように、スポーツドクターになるという仮の目標を作ることで、自分の精神が再び霧の中をさまよってしまわないようにしていただけの、ふわふわした状態でした。
どうせ今年は受からない、と分かりながらも、開き直って勉強しないわけにもいかず、とりあえずやれるだけのことはやるという感じでした。
彼女との別れにより精神不安定に
しかし高3の冬頃から、当時付き合っていた彼女との関係は悪化し始めました。
それに伴い、私は精神をかき乱され始めました。
そしてとうとう、センター試験の1週間前に別れてしまいました。
当時私が彼女から受けた精神的なダメージの詳細はこちらの記事(高3で彼女ができるも受験直前に失恋。私は人間不信に。【010】)をご覧ください。
もちろん、彼女との関係が良好なままでも現役で志望校に合格することは、あり得ませんでした。
しかし、どうせ今年は受からないというやるせなさと、失恋によるショックで私は完全に自暴自棄になってしまったのです。
そして迎えたセンター試験当日、私は高熱を出してしまいました。
連日の無理が祟ってしまったこと、失恋による精神的なダメージ、過度の緊張などの要因が重なったためでしょう。
心身ともにボロボロなまま、なんとか2日間にわたるセンター試験を終えました。
結果は得点率6割ほどでした。
当然この得点では、国公立大学の医学部にはかすりもしません。
かと言って、他に受けたい学部もありませんでした。
消化試合
願書は事前に取り寄せていましたが、
「この得点ではどうせ出願しても受からない」
という理由で、志望校の医学部には出願すらしませんでした。
その後、医学部の試験を万が一受けることになった場合に備え、試験慣れのために事前に出願していたいくつかの私立大学を受験しました。
結果、全ての大学に落ちました。
父と伯父も浪人経験者だった
過去に記事でも何度も登場している、私の父と伯父は、難関大学卒業のエリートですが、2人とも一年間大学受験浪人をしていました。
そして、私によくこんな話をしていました。
「高校の時は部活ばかりでまともに勉強した覚えがない。だから現役で受験した時は全くダメだった。本気で勉強し始めたのは浪人し始めてから。予備校講師に教わりながら勉強をして、少しずつできるようになった。」
私はこの話を真に受けてしまいました。
「私も一年間大学受験浪人をすれば、勉強ができるようになって、国公立大学の医学部に入れるかもしれな
い。」
という幻想を抱いてしまったのです。
しかし、浪人してすぐに、その幻想は打ち砕かれることになります。
高3の時点で父や伯父の達していた学力レベルと、私の学力レベルでは差がありすぎたようです。
「勉強していなかった」といっても、2人ともやはりできる人間だったのです。
自暴自棄の堕落した引きこもり生活
2月に全ての大学の試験も終わり、高校も自由登校になりました。
- 進学校にいるにも関わらず、全く勉強のできない自分への嫌悪感
- 自分は本当に医者になりたいのだろうか、医者になる資格はあるのだろうかという迷い
- そもそもたった1年間浪人して勉強するだけで父や伯父のように難関大学に、本当に合格できるのだろうかという不安
- 受験シーズンに彼女と別れた際に負った深い心の傷と人間不信・女性恐怖症
など、様々な要因が重なって、精神的に酷く落ち込んだ私は、家に引きこもりがちになりました。
一日中ゲームをやり続け、動画サイトを目的もなく漁って、時間を消費していました。
私は高校3年生までピアノを習っていたため、ある程度弾くことができたので、ゲーム音楽のピアノアレンジなど、とにかく激しい曲調の音楽に自分の怒りとやるせなさをぶつけて弾き殴ったりしていました。
完全に生活は昼夜逆転していました。
両親が起床する音が聞こえてきたら自分は就寝し、夕方に起きてそのまま次の日の早朝まで、ゲーム、動画、ピアノ三昧をして、過ごしていました。
食生活も乱れ、味の濃いジャンクフードを貪り食っていました。
いつもジャンクフードを自室に持ち込んで食べていたので、部屋の中はその匂いで臭くなってしまいました。
部屋を掃除したり片付けたりする気力もなかったので、いつも部屋は散らかっていました。
臭くて散らかり放題になった部屋は、まるで自分の心の状態を表しているようでした。
大好きだった運動もしなくなり、部活をやっていた時には引き締まっていた体も、だんだんとダボついて行きました。
「もう自分には夢も希望も生きる意味もない」
と思って、この世から消えてしまいたいと思っていました。
かといって、死ぬ勇気もありませんでした。
こんな状態で2か月以上過ごしました。
高校の卒業式の日、出席するために久々に外出しました。
自分でも、体力が衰え、生命力がとても弱くなっていることを感じました。
外に出たくありませんでした。
仲の良かった友達は、生気を失った私の様子を見て、心配してくれました。
数か月前にまだ部活をやっていたころの私と比べて、大きく様子が変わっていたからでしょう。
しかし、自暴自棄だった私は、そんな気遣いすらも煩わしく感じてしまいました。
気遣ってくれる友人の多くはもうすぐキャンパスライフが待っています。
それに対して私は、大学受験浪人生活が待っています。
それを思うと、余計に自分が嫌になりました、
「自分は生き遅れている」
「世の中の流れから取り残されている」
と思い、焦りを感じ始めました。
これから地獄の浪人生活が始まります。
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