幼少期の記憶とうつの芽生え。常識という名の多数派グループから追い出される私。【001】

どうも、てつです。
これから、私がうつ病になった原因を過去の記憶を辿りながら分析していきます。今回は、私がこの世に産み落とされてから、小学校を卒業するまでの話です。
目次
幼少期の記憶
西暦1991年、サラリーマンの父と専業主婦の母との間に長男として、私は生まれました。親戚を含め、その世代で初めて生まれた子供だったせいでしょう。周りの大人たちの期待を全身に浴びながら私は育てられました。
とにかくよくしゃべる子供でした。食事中でも食べることそっちのけでしゃべり続けていたため、小学2年生くらいまではガリガリに痩せていました。そのせいか、よく風邪をひき、熱を出していました。
何にでも興味をもち、何でも自分でやりたがりました。
生き物が大好きで、よくザリガニやトカゲやカブトムシを捕まえては、本で飼い方を調べながら育てていました。
小学生向けの科学図鑑を読むのも好きでした。そこで知ったことを小学校の授業中に披露すると、先生に驚かれました。
小学校の通信簿に書かれた先生からの言葉
通信簿には、
- 「興味があることには熱中して気が済むまでトコトン取り組み続ける」
- 「非常に子供らしい子供」
- 「マイペースでじっくりと物事に取り組む」
- 「好奇心旺盛」
などと書かれていました。
好きな科目、苦手な科目
好きな科目は自分の好奇心が一番くすぐられる理科でした。
苦手な科目は算数で、大きな数どうしの筆算が理解できず、放課後に居残り勉強をさせられた思い出があります。通信簿では「もう少し」の評価でした。百ます計算を解くのも遅かったです。
自分は少数派の人間だと自覚し始めた小学4・5年生
もしかすると、「自分はこんな人間なのかな」ということを意識し始めたのは、小学4・5年生のころでした。
みんながドッジボールをしているとき、私はひと握りの友達と竹馬に乗って遊んでいました。
みんながドロケイ(ケイドロ)をしているとき、私はひと握りの友達とトカゲのえさになる虫を捕まえて遊んでいました。
みんながサッカーをしているとき、私はひと握りの友達とオリジナルルールの鬼ごっこをして遊んでいました。
みんながバスケットボールをしているとき、私は一握りの友達と学校の裏庭で取った竹で弓矢を作って遊んでいました。
みんながベイブレードで遊んでいるとき、私はひと握りの友達とベーゴマをして遊んでいました。
みんながキックベースをしているとき、私はひと握りの友達と紙飛行機の滞空時間を競って遊んでいました。
みんなが塾に通って勉強しているとき、私はひと握りの友達と遊戯王カードで遊んでいました。
そうです。子供の頃から私は、どちらかというと少数派の人間だったのです。
小学校にいた多数派グループの人たち
私の小学校では、サッカーや野球のクラブチームに入っている人たちが多数派グループを作っていました。彼らは特有の仲間意識をもっていて、いつも集団で行動していました。
彼らの、
- 大勢で群がることで安心している雰囲気
- 仲間以外を排除しようとする雰囲気
- グループの調和を乱したやつは追い出すという雰囲気
などを横目で見ていて、「気持ち悪いな」と思っていました。
多数派グループを追い出された友達
そんな思い出の中でも特に印象に残っているのは、多数派グループから追い出された人が、私たちの遊んでいる少数派グループにやってきて、「一緒に遊びたい」といってきたことでした。しかもそれが一度ではなく何度もあったのです。
追い出された人たちを快く受け入れつつも、彼らを追い出した多数派グループのやり方を間近で見て、恐ろしく思いました。
うつ病の種は小学生の時から私の中に
小学校から、中学、高校、大学、サラリーマン時代、そして現在に至るまで、「私は少数派の人間である」という意識が自然と続いています。
こうして今、昔を振り返ると、幼少期からすでに私の中にうつ病の種があったということがわかります。
今となっては、自分がうつ病になったのは「偶然でも不運でもなく、必然的な運命だった」と思っています。
しかし、当時小学生の私は、この十数年後に自分自身が、「常識という名の多数派グループ」から追い出され、うつ病になるまで精神的に追い込まれるなどとは夢にも思っていなかったのです。
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