好きな科目・苦手な科目と文系理系の選択【011】

どうも、てつです。

前回(高3で彼女ができるも受験直前に失恋。私は人間不信に。【010】)に引き続き、私がうつになった経緯を分析していきます。

今回は、高校2年生から3年生にかけての、文系理系選択の時の話です。

高校で唯一面白いと思った科目は倫理

高校生の時、唯一興味が湧き面白いと思った科目は倫理です。

倫理で学ぶテーマの中で、特に好きだったのは思想家たちの考えに触れることでした。

(※ここで言う「思想家」というのは、哲学者、宗教者、小説家、心理学者、教育学者、科学者などを含みます。人間の性質や、宇宙の真理を探究するために学び、研究し、考え抜いた人という意味でこの言葉を使っています。)

高校の時は自覚していなかった自分の性質

高校生の時には気づきませんでしたが、今は自覚している自分の性質が1つあります。

それは、

「真理を探究することに喜びを感じる」

という性質です。

「物事の本質を明らかにしたい」

という思いが、私の核となる部分にあることに、気づきました。

 

文系理系を問わず、自分の興味が湧く対象については、幼いころからトコトン調べ上げて、自分が納得するまで考え抜くということを、自然と繰り返していました。

興味のジャンルは、

「命あるものを中心とした、曖昧さや神秘を内包するテーマ」

に偏っているということにも気づきました。

これらのことに気づいたのは、うつを治療するために、自己分析をしていた時です。

ずっと言葉にできなかった自分の「好き」

10年以上前、私が高校生の時には、

「何となく倫理が好き」

としか言いようがなかったのですが、今ではこのように自分の性質を自覚し、「なぜ好きなのか」を言葉にして説明することができるようになりました。

自分の性質を自覚するということは、自分が自分らしく生きていく上で、大切な道しるべとなります。

そして、ありのままの自分が自然に抱いている興味・関心や、魂が求めている生き方から、自分が知らずのうちに遠ざかってしまったとき、心や体は私たちに何らかの方法でメッセージを伝え、「そっちは行き止まりだよ」と気づかせようとしてくれます。

そのメッセージが、耳鳴り・蕁麻疹・抜け毛・がんなど、何らかの身体症状として表れることもあります。

また、うつ病などの精神疾患の形で表れることもあります。

「何となく好き」という淡い感覚を大切にする

さて、話を高校の時に唯一、面白いと思った「倫理」に戻します。

私は、倫理で紹介される思想家たちの考えにとても興味を持ちました。

私の、「真理を探究したい」という心の底にある思いに応えてくれるような気がしていたのだと思います。

人間の本質を知るためのヒントが隠されているように感じていたのだと思います。

 

「人生の意味とは何だろう?」

「幸せとは何だろう?」

「死ぬってどういうことだろう?」

「なぜ失恋するとこんなにも苦しいのだろう?」

「善く生きること、とはどういうことだろう?」

「どうして人は殺し合うのだろう?」

「どうしてこの地球には、一生遊んで暮らしても使い切れないほどのお金を抱えている人がいる一方で、今日食べるご飯も安全な飲み水もないような貧しい生活をしている人がいるのだろう?」

「そもそもお金って何だろう?」

 

このような当時から自分が抱いていた疑問を解き明かすヒントが、思想家たちの思索の歴史の中にあるような気がしていたのでしょう。

無意識でそれを感じ取っていたから、私は倫理という科目に対して、

「うまく言葉にできないけれど、何となく好き」

という感情を抱いたのだと思います。

高2の終わりで迫られた文系理系の選択

今でこそはっきりと、

「私は人の心について考えることが好きだ」

「哲学することが好きだ」

「真理を探究することが好きだ」

「考え続けること自体が好きだ」

ということができます。

しかし、当時の私は、そのことをはっきりと自覚していませんでしたし、うまく言葉にして説明できませんでした。

淡い感覚として「何となく好き」としか言いようがありませんでした。

 

中学の時に両親から言われた、

「心理関係は金にならないからやめろ」

という言葉が、無意識のレベルで、私の「好き」に私にブレーキをかけていたようです。

 

私が周りの人たちに公言していた、「医者になる」という目標を実現するには、医学部のある理系に進まなければなりません。

心理や哲学について学ぶなら、文系に進む必要があります。

私は父に聞きました。

「医者になるのをあきらめて文系に進んでもいいかな?」

それに対する父の答えが、私の進路を決定づけました。

父「逃げの文系か?攻めの文系か?」

「てつ、その選択は、逃げの文系なのか?それとも、攻めの文系なのか?」

「苦手な数学や物理から逃げるために文系に行くのか。それとも、文系の学部に進んで、どうしても学びたいことがあるのか?」

父はそう言いました。

今の私がこのまま16歳の時に戻ることができるなら、

「どうしても哲学や心理学が学びたいんだ。そのためには文系に進む必要がある。」

と、はっきりと答えられます。

しかし、当時の私は、

「倫理も好きだし、哲学や心理学は何となく好きだけれど、大学に行ってまでどうしても学びたいとは言いきれないな。どちらかと言うと、苦手な数学や物理から逃げたいのかな。」

と、思ってしまいました。

だから、

「逃げの文系です。」

と答えました。

父は言いました。

「理系に進んだ方が就職に有利だ。理系の科目なら、私がてつに教えることが出来る。文系科目は教えられない。どうしても文系で学びたい学問がないのなら、理系に進んだ方がいい。例え医者にならなくても。」

父からのこのアドバイスは、一見合理的で正しい意見のように感じられるでしょう。

しかし、大切な観点が抜け落ちています。

それは、

「私がどういう人間であるか」

という観点です。

損得勘定で考えれば、統計的に考えれば、一般的に考えれば、合理的に考えれば、常識的に考えれば、

父の意見は正しいです。

しかし、その考え方に私を当てはめることは、本当に正しいのでしょうか?

私という、世界に一つしかない感性を持つ、世界に一人しかいない人間に、その一般論を適応することは、本当に正しいのでしょうか?

当時の父にそう問いたいです。

 

今の私がタイムスリップして、当時の父と話すことができるのなら、こんな言葉をかけたいです。

「私は10年後のてつです。お父さん、私という「個」をもっとちゃんと見てください。常識や一般論に私を当てはめて理解したつもりにならないでください。私という「個」の持つ資質が、自然に成長していったらどんな人間になるのか、そして、その資質を活かして、どのように人の役に立つことができるのか、一緒に考えてください。一緒に想像してください。」

 

 

子供にとって親の言葉は絶対です。

私は父の言葉通りに、苦手な理系に進み、医学部志望の受験生になりました。

数学や物理が苦手なのに。

 

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プロフィール

てつが自給菜園で育てた愛しい夏野菜ちゃんたち

てつと申します。

 

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ありがとうございます。

 

 

1991年生まれ。

 

某大学の工学系の学科を首席で卒業後

東証一部上場の製造業の技術職に就く。

 

入社約半年でうつ病を発症し退職。

 

約1年間の無職療養期間を経て

近所の小売店でアルバイトを開始。

 

うつ病の発症から約2年後

主観的にうつ病は完治したと実感。

 

 

2019年現在

・週に30時間のアルバイト

・食料を半自給するための菜園の運営

・ブログの運営

の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは

 

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