高校で初めて受けた数学のテストで27点。虚栄を張り続ける日々。【008】

どうも、てつです。

前回(私「心理学者になりたい」親「金にならないからやめろ」【007】)に引き続き、過去の記憶をたどりながらうつの原因を探っていきます。

今回は、高校で初めて受けた定期テストで味わった挫折についてです。

 

 

地元の中学卒業後、私は県内の難関公立高校に入学しました。

正確な合格順位は発表されていませんが、自分の感触としては、

「ギリギリ合格できた」

という感じでした。

念願の陸上競技部に入部

中学の時、本当は陸上競技部に入りたかったのですが、私の在学中には部自体がなかったので、代わりにバスケットボール部に入りました。

しかしそこは、まさかのブラック部活で、とてもひどい目に遭いました。

 

高校では念願の陸上競技部に入ることができました。

小学校、中学校の運動会ではリレーの選手になることも多く、自分としても得意だと思っていたので、100mや200mなどの短距離選手になりました。

部員のほとんどが陸上部出身だったため、完全な陸上競技初心者の私は、初めうちは周りから遅れをとっていました。

しかし、中学のブラック部活とは全く違い、良心的な部活だったので毎日楽しく活動をしていました。

(関連記事:中学時代のブラック部活で私が経験したパワハラの具体例を紹介【003】)

中学では優等生、高校では凡人以下

問題は勉強の方でした。

私の出身中学は、当時市内で学力が最低クラスの学校だったのです。

私の地元は昔から伝統的にヤンキーが多く、私が在籍していた頃も校内は荒れていました。

 

そんな中学校の中ではトップクラスの学力でしたが、完全に「井の中の蛙大海を知らず」という状態でした。

 

私が進学したのは、県内の学力トップクラスの中学生が集まった高校です。

中学で優等生だった私は、入学した瞬間から凡人になりました。

 

「まじめな優等生」というキャラクターから、「優等生」が引き算されました。

周りが皆「中学ではクラスで一番勉強ができた」というような人ばかりでした。

 

当時の私もそうでしたが、

「自分、頭いいですよ」

という雰囲気を漂わせた、プライドの高そうな人が多くいたように感じられました。

 

高校の教員たちは、皆ギラギラしていて、東京大学などの難関大学に、生徒たちを合格させようと必死でした。

難関大学に生徒を合格させることが、学校自体や教員たちのステータスになっていました。

高校を大学受験予備校か何かと勘違いしているようでした。

そのため、授業はハイレベルで進むスピードも早く、必死で勉強してやっとの思いでこの高校に合格した私は、次第に授業についていかれなくなりました。

初めての定期テストで私を襲った悪夢

高校に入学して初めての定期テストで、私の落ちこぼれ具合が露呈し始めます。

中学では、悪くても80点くらいだったテストの点がガタ落ちして、どの科目も平均点が取れるかどうかというレベルになってしまいました。

中でも数学の点数は特に低く、

「27点」

という生まれて初めて見る点数を取りました。

中学2年生の数学の試験で味わった感覚が、再び私を襲います。

(関連記事:中学2年生で味わった強烈な挫折感。私を追い込んだ父の言葉。【004】)

 

頭が真っ白になり、恥ずかしくて堪らなくなりました。

人から答案が見られないように必死で隠しました。

 

このタイミングで、

「自分は数学が苦手だ」

と、ありのままの自分の資質を認めることが出来ていれば良かったのにと、今でも後悔しています。

 

しかし、中学の時から父に言われ続けた、

「やれば出来る。やらないから出来ないんだ。」

という言葉が、私を縛り付けていました。

 

私は苦手科目を持つことが許されませんでした。

父や伯父のように優秀な人間にならなければならないと、思い込んでいました。

 

私は私なのに。

 

私らしく生きればいいのに。

虚栄を張って生きる日々

当時の私は「ありのままの自分」を受け入れることができず、「自分はこうあるべき」という理想ばかり追いかけていました。

頭がいいふりをして、毎日虚栄を張って生きていました。

 

しかし、腹の底はいつも不安でいっぱいでした。

周りの人たちに頭が悪いと思われたくありませんでした。

父や伯父とは違って優秀な人間ではないということを、認めたくありませんでした。

 

「中学の時は自分がトップクラスだったのに、今は凡人以下だ・・・。」

というように、誰かと比較して優れていないと自分に価値がないと思い込んでいました。

 

勉強が得意かどうかなんて人間の知性の一つの側面にすぎないのに、その人の能力の一つに過ぎないのに、そればかりにこだわっていました。

 

さらに、恥を忍んで正直に申し上げれば、自分より勉強ができない人を、当時の私は見下していました。

その「勉強ができない人を見下す」という自分の中にあった価値観が、今度は自分自身に降りかかりました。

 

この高校の中では、

「私は見下されるべき存在」

ということに、なってしまったのです。

自分のプライドが傷つかないように勉強を頑張らなくなった

父が私に言った、

「やればできる。やらないからできないんだ。」

という言葉は、私にとって絶対でした。

私の弱音を一切封じ込める呪いの言葉でした。

 

そして、その言葉を裏返すことで、父の言葉から逃げようとしました。

 

つまり、

「自分だって本気を出せばできるようになる。単に本気を出していないだけ。」

というように、勉強をあえて一生懸命やらないことによって、

「自分だって本当は、一生懸命勉強を頑張れば、できるようになるんだ。」

という風に、逃げたのです。

 

勉強に正面から向き合わないことによって、「本気でやれば私だって」という可能性の中に逃げ込んだのです。

それにより、自分のプライドが傷つくことを避けました。

勉強がダメなら部活を頑張ろう

高校に入り、自分が凡人であるということを嫌というほど知らされた私は、勉強のやる気をなくしました。

「勉強で自分は特別になれない。他に自分が何か特別になれることはないのか。」

と考えました。

そして私は、

「陸上競技で特別になろう」

と思い、部活に情熱を注ぎ始めました。

 

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プロフィール

てつと申します。

 

1991年生まれ

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の機械部品メーカーに就職

入社約半年でうつを発症し退職

1年ほどの無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始

うつ発症から約2年後、主観的にうつは完治したと実感

2018年現在、
・週に35時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

私がうつ病を発症した原因の分析、うつのどん底から立ち直った方法、

うつを通して得られた人生に対する深い気付き、

うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

 

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