ハローワークの指示通り心療内科で診断書を発行してもらった話【052】

どうも、てつです。

今日もお疲れ様です。

前回の記事【051】では、退職から1か月後に意を決してハローワークの相談窓口に行った時の話をしました。

今回は、相談窓口で指定された通り心療内科に行って、私が働ける状態にあるのかどうかの診断を受けた時の話をご紹介します。

心療内科受診

ハローワークの相談窓口に行った翌日、私は退職前にお世話になった心療内科クリニックに電話をしました。そして、再診の予約をしました。

初診の予約を取った時は、「空いているのは一番早くても2週間後です」と言われましたが、再診の予約は電話した日から2、3日以内にすんなりと取る事が出来ました。

初めて心療内科を受診するときは、多くの方が躊躇すると思います。また、とても勇気がいることだと思います。「ここで心療内科に行って精神病だと診断されたら社会からドロップアウトしてしまうのではないか。この体調不良は会社に行きたくないという思いが作り出した仮病なのではないか。」などと、様々な不安を抱えていると思います。しかし「もう限界」というレベルまで我慢し続けてギリギリまで追い込まれた段階で、初診の予約を取ろうとしても、多くの病院でかなりの日数待たされる可能性が高いので、その点は気をつけていただきたいです。

医師の診断書

心療内科受診の日が来ました。

私は退職前に医師から「ストレス性障害(適応障害)及び胃潰瘍疑い」と診断されて会社を辞めたため、客観的には疑いようもなくうつ病と言える状態だったのですが、主観的にはまだ自分がうつ病だとは認められていませんでした。

自分が病気だと認めることができなかったので「まずはしっかり休んで、病気を治してからまた歩きだそう」と考えることができませんでした。本当は、まだ大してうつ病の症状が良くなっていないにも関わらず、「早く再就職活動をしないと社会からドロップアウトしてしまう」という妄想に憑りつかれ、ハローワークに行ってしまいました。そして、ハローワークの相談窓口で指示された通り、もう一度働くための診断書を発行してもらおうとしたのです。「自分はうつ病なんかじゃない。しばらく休んだからもう大丈夫だ。体も頭もずいぶん動くようになった。」そう思っていました。

 

さて、自宅から自転車を20分ほど漕ぎ、心療内科に到着しました。

診てくださった先生は、私が会社を辞める際に診断書を書いてくださった先生で、当時私の置かれていた状況は良く分かってくださっていました。

 

私「失礼します。お世話になっております。」

医師「こんにちは。どうぞおかけになってください。その後どうですか?」

私「お陰様で、あれから父は何とか退院することが出来ました。私自身も会社を無事に辞めることができたので退職前に比べ、ストレスはかなり減りました。」

医師「今日はどうされましたか?」

私「再就職活動を始めようと思っています。失業手当をもらいながら就職活動をするには、医師の診断書が必要だとハローワークの相談員の方から言われました。今日はその件で伺いました。」

医師「そうですか。こちらとしては基本的に、てつさんの意志を尊重致します。どのような内容の診断書が必要ですか?」

私「退職直前は、業務続行が不可能な心身の状態だったため、長期休養が必要だったこと。そして、2ヶ月ほど休んだ結果、心身の健康状態が回復したため、フルタイムで働ける状態になったこと。これらを盛り込んでいただきたいです。もう、十分休んだので働きたいです。」

医師「分かりました。それらを踏まえて、診断書を発行します。それでは待合室でお待ちください。」

私「ありがとうございました。お世話になりました。」

医師「また何かありましたら、いつでもいらしてください。」

私「はい。それでは失礼いたします。」

 

先生は、医学的に目から見て私が働ける状態にあるのかを診断するのではなく、私の希望通りに診断書を書いてくれました。今振り返ってみても不思議です。

また、父が末期がんを抱えながら会社に勤務していた時にも似たようなことがありました。父は当時末期がんで貧血もひどくフラフラの状態だったにもかからわず、本人が強く希望したため「働いてよい」という内容の診断書を、医師は発行してくれたのです。

全ての医師がそうだとは言いませんが、私と父の主治医は、患者の意思(言葉)を優先するタイプだったと言えます。

 

精神疾患というのは、目に見えませんから、客観的な診断をするのが難しいのかもしれません。

しかし、うつ病が回復しきっていないにもかかわらず焦る思いからまた働こうとしていた当時の私の姿が、心療内科の医師の目に実際にはどのように映っていたのかが気になります。

偽りの「働きたい」

私は医師との会話の中で、「働きたい」と言いましたが、果たしてあれは本心だったのでしょうか?

私の尊敬する精神科医である泉谷閑示先生の言葉を借りれば「患者さんが本当に治ったから働きたがっているのか、焦りから働こうとしているのかを見分けるのは、専門家にとっても簡単ではない」ということですので、私を担当してくださった先生の目には、本当に私が回復したかのように見えていたのかもしれません。

今の私が当時の私の心境を分析すると、当時の私は自分の中の「働くべきだという焦り」を「働きたいた思っている」とすり替えて理解していたと考えられます。

言い換えると、内発的に「働きたい」というエネルギーが心と体から湧き出して、心(腹)の底から働きたいと思っている状態ではなかったということです。「一般的には職を失った人間は直ぐに就職活動をするものだ」という、私の中にあった常識、すなわち自分以外の人々の意見に支配されていました。当時の私は主体性を失っていたのです。常識からの要求という外力によって動かされている状態だったのです。嫌がる自分に鞭を打って無理やり行動するように仕向けている状態だったのです。

 

本当は、腹の底では働きたくないと思っていました。

本当は、腹の底ではもっと休みたいと思っていました。

でも、そんな風に思ってはいけないと思っていました。

そんな風に考えてしまう人間は社会不適合者だと思っていました。

ここで立ち止まったら、人生が終わってしまうと思っていました。

 

高校3年生の大学受験期から、2年間の浪人生活、そして大学4年間、サラリーマンをやっていた約半年間、合計7年近く、自分がやりたいからやるのではなく、やるべきだからやるという選択を私は繰り返し続けていました。

私は心と体の意見(やりたい・やりたくない)を無視し続けて、理性の声(~べきだ・~ねばならない)だけに従って長い間生きてしまいました。

 

うつ病は、心と体から発せられた「もう疲れたよ、休ませて。私の声を無視しないで。」というメッセージだったのだと、最近になって気づきました。

しかし、当時の私はまだそのことに気づいておらず、2ヶ月休んで少しだけ動けるようになった心と体にもう一度鞭を入れて、走り出してしまったのです。

 

 

受付にて、医師の診断書を受け取り、本心を腹の底にしまい込んだまま私は帰路につきました。

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プロフィール

てつが自給菜園で育てた愛しい夏野菜ちゃんたち

てつと申します。

このブログに訪問していただき、ありがとうございます。

1991年生まれ。

某大学の工学系の学科を首席で卒業後、東証一部上場の製造業の技術職に就く。

入社約半年でうつ病を発症し退職。

約1年間の無職療養期間を経て近所の小売店でアルバイトを開始。

うつ病の発症から約2年後、主観的にうつ病は完治したと実感。

2019年現在、
・週に30時間のアルバイト
・食料を半自給するための菜園の運営
・ブログの運営
の3つの活動を中心に生活している。

 

このブログでは、

・私がうつ病を発症した原因の分析

・うつ病のどん底から立ち上がるまでの物語

・うつ病を通して得られた人生に対する深い気付き

・うつ病経験者としてこれからの人生をどう歩んでいくかの思索

などを紹介しています。

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